イタリア旅行記

第11回 絵のないスナップ
 これまで画像をもとに旅行記を纏めてきましたが第11回は画像に捉えることのできないスナップ・ショットを集めてみることにします。
 旅行中には、思いがけないハプニングや失敗、笑いがありました。
特に初めての海外旅行で言葉・習慣の違いに戸惑いと不安を感じ、また楽しい発見もありました。海外旅行に慣れた方たちにはあたり前のことで、今更取り上げて云々することではないと思いますが、初心者の戯言と読み流してください。


※ 短編風にして数回に分け掲載します。

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ひと口メモ

買い物

ポンペイ遺跡入場口に着いた。日本語版解説写真集を数冊抱えた現地人が近づいてきて中身を開いて見せた。一冊10ユーロという。断わった。

遺跡巡りを終えてもとの入場口へ戻ってきた。近くに観光客相手のテント張り出店があった。その店にも日本語版解説写真集を売っている。値段は6ユーロ。手にとったがビニールの完全包装で中が開けない。これは偽物だと思った。中身を見せるようジェスチャーで伝えると簡単に応じてくれた。

内容は10ユーロのものとほとんど同じである。6ユーロが高いか安いか判断に迷ったが心安く開封してくれた好意に対し買うことにした。

大胆さか嫌味か

カプリ島の観光を終えた観光客がフェリーポートの乗船口に長い行列を作って待っていた。先頭に並んでいた若いカップルが突然抱擁し唇を合わせた。

並んでいたのは主に我がツアーの60名と数名の外国人だけ。目のやり場に困った。もういいだろうと振り返るとまだ続いている。これを繰り返すこと数回。

初めのうちは外国だからこれが当たり前だろう、気にするほうがおかしいのかなぁと我慢していたが、あまりの長い時間に嫌気がさしてきた。日本人を意識した嫌味の行動ではないかと反感に変わった。

無料トイレ

カプリ島のリフト発着所の近くに観光客相手の店があり、この店は無料でトイレを貸してくれる。

ツアーの観光客が一度に押しかけ、日本と同じようにここも女性用は長い行列が出来ていた。男性用には5,6人が待っている。男性に混じって先頭に日本の女性が並んでいた。へんだなと思いながらその後に並んで待っていると、用を済ました日本の女性が男性個室から出てきて、先頭に待っていた日本の女性と笑いながらバトンタッチした。後に並んでいた外国の男性達も笑いながら順番を待ってくれている。日本人女性よ、ここまでやってくれるのかと恥ずかしさで消え入りたい思いであった。

すぐ近くには有料のトイレもあるというのに・・・。


二人のガイドさん

6日間の観光中、5日間は現地人と日本人の2人のガイドさんが付き、現地人ガイドさん1人のときはヴェネチュア観光の1日だけであった。

日本人相手のガイドは日本語が出来なければならないのはもちろんである。日本語で案内が出来るイタリア人のガイドさんであれば単独で営業できるが、日本人だけの単独ガイドは認めないというのがこの国の制度らしい。自国の観光ガイドは自国の国民だけにさせるというわけだろうか。

実際の観光案内は日本人のガイドさんでイタリアのガイドさんが説明したことを日本人が通訳することはなかった。

建前は日本人のガイドさんはイタリア人の通訳にすぎないということだが、日本人がすべてをやってしまうのでイタリアのガイドさんはする仕事がない。やることといえば、美術館の入場券を買って各人に配るぐらいであった。あとは観光客と一緒になって付いて回るだけである。

一日の賃金は幾らになるか知らないがイタリア人にとっては収入を得るりっぱな職場である。

日本人から見ればイタリアという国は効率の悪い職場が多いところだと感じた。しかし、このガイド制度にしても、イタリアからすれば自国民が外国人に職場を奪われないような政策をとっている堅実な国だといえないだろうか。


ホテル事情

枕 銭

荷物を運んでくれるポーターのチップはツアー会社でまとめて払いますが、ホテルを出るときはベットの上に一人に付き1ユーロのチップを置いてください、とツアー説明会で聞かされていた。

日本ではサービス料込みの精算で別にチップのことは考えなくてもよいが外国ではポーター、ベルボーイ、ルームメードにはその都度チップを払うのが常識だそうである。

一泊目の朝は、ツアー会社が用意してくれた10、20ユーロの紙幣ばかり、1ユーロの硬貨はまだ持っていなので、すまないと思いながら置いてこなかった。

観光しながら飲み物やみやげ物を買っているうちに硬貨は溜まってくる。その中から1ユーロ硬貨を家内のぶんも含め2個、財布とは別にポケットに入れておくことにした。

その日の観光が終るころ、その2個の硬貨があるかどうかを確かめ、ないときにはわざわざ水を買って硬貨つくりに気を使った。

翌朝、観光バスに乗り込み「あーらチップを置いてこなかった」と同行者の悲鳴にも似た笑いを聞くこともあった。

こんな失敗がないようにと部屋に入ると、まずベッドの枕元に「まくら銭、まくら銭」と言いながら置くことにした。このやり方で2日目以降は失敗なしであった。


迷 路

迷路ではないが、こちらのホテルは日本の1階部分が0階になっている。

初日の朝、フロントに降りるつもりでエレベターに乗り込み何気なく1階のボタンを押した。1階に下りるとフロントがない。今度は歩いて上の階に登ったり下の階に降りたりして、やっとフロントに出た。そこは0階であった。

水の都ヴェネッアは、島全体に建物がひしめき合い住宅事情は厳しいようである。古代の建築を売り物にした観光都市だけに、建築改装の厳しい法令でもあるのか外観は昔のままのようであった。

古めかしい外観のホテルでも一旦中に入ると近代的に改装された形跡がうかがえる。横にも上にも建て増しできない条件の中で改装された内部は、利用するお客にとってはあまり便利ではなかった。

渡された部屋番号は625であった。普通は6階の25号室を意味しているからエレベターは6階を押せば簡単に辿り着ける。

しかし、ここのホテルは違っていた。エレベーターのボタンの横に階層ごとの部屋番号が貼り付けてある。自分の部屋番号を確かめて、その部屋が何階にあるかがわかる仕組みになっていた。エレベーターも3人で満杯といった小型のものであった。

625番はエレベーターの2階で降りた。通路は狭く一人が通れる巾で、すれちがうときには身体を縦にし、交わす状況である。

階段を一旦1階に降りてから、また2階へ登り、右に左に何回も曲がった長い通路の突き当たりにあった。とうとう自力では辿り着けず、たまたま通りかかったメードさんに案内してもらった。

部屋に入ると改装してまだ日が浅いらしく家具調度は新しかった。

締め切った窓はカーテン、ガラス窓、木製の雨戸の順になっている。これらを全部開けてやっと外が見える仕組みになっている。開いてみてビックリ、期待した景色はなんと手が届きそうなところにある隣の壁であった。

一日中照明なしでは暮らせない部屋である。災害時の避難順路を確認しようとしたがそれらしき説明書は部屋になかった。火災のないことを願って一夜を明かした。災害避難対策は日本のホテルが徹底しているようである。


シャワー

チェックインのあと荷物を解いて、まず一風呂浴びて疲れをとろうと考えるのが日本人。この日本人の風呂好きが外国のホテルで思わぬ現象を引き起した。

60名もの団体が一度に同じ行動を起こしたからホテルの給湯設備がパニック状態になった。

部屋に到着後10分も過ぎて蛇口をひねると、もうお湯ではなく冷たい水しか出ない。翌日からはそれぞれが手加減して寝る前か朝方シャワーを浴びるようになった。しかし、習慣を変え入浴の時間をずらすと落着かない。

 日本人にとって、和食と大浴場がないとホテル泊まりの気分になれないようだ。


 臨時飛び込み『トイレ後日談』(2004・9・19)

 のんのこ諫早まつりの写真撮影会場に出かけた。
 会場で外国航路の船長さんだったSさんに、ぱったり出会った。Sさんはリタイア後、写真を趣味に楽しんでおられる。

「蓋のないトイレのことわかりました?」Sさんの挨拶は意外だった。「いろいろたくさんの方から情報を貰いましたよ」わたしは笑いながら返事した。

 外国の事情に詳しいSさんは、「それは良かったですね。それではまた」とニコニコしながら撮影ポイントへ急がれた。トイレについての面白い話題を持っていそうな顔付きであったが、きょうは撮影で忙しそう。Sさんも読んでくれたのかと嬉しくなった。

 同じ日の午後からイベント会場で『ふるさと芸能の祭典』を観ていた。
 昨日、のんのこ街踊りで一緒だったKさんが横に来て「亀さんに友達を紹介したい」と言われた。高校時代の友達で現在は横浜にお住いのTさんといわれる方で、ふるさとの祭りが懐かしく、わざわざ里帰りされたのだという。

 Tさんの「初対面でないような・・・」と言われる挨拶に、あれっ以前どこかでお会いしたことがあったかなと思った。「いつもホームペジを見ていますので」「そうですか。ありがとうございます」とこちらも初対面でないような雰囲気になって挨拶した。

 話しが進むうちに「トイレの疑問どうなりましたか」とまたこちらもこの話になった。
「あれは女性専用ではなく、男性も使うそうです。あそこで洗濯もするそうですよ」Tさんの思いがけない話である。そう言われてみれば男性も、また洗濯に使っても支障ない構造になっている。

「じつわぁ〜わたしも1回だけ使いました」と頭に手をやりながら白状した。旅の期間中、ペーパーを使い続けていたがとうとう尻が悪くなり、跨って蛇口を捻りゴシゴシと手で洗った。

 Tさんの話を聞いて、私のやったことは間違いではなかったか、と元気付けられ白状しようという気になった。
 第7回『ひと駒の話題(2)』に「
疑問を抱えたまま、一回も使用することなく旅は終りました」とある一文は恥ずかしさと気の弱さが書かせたもので、ここにお詫びする次第です。嘘はいつまでも隠しおおせるものではありませんね。お尻を水で洗ったあとのように、これですっーとしました。

A      これがイタリアの食事だ

イタリア料理と聞いただけで憧れがあった。さてその結果は如何に・・・。
 旅行期間中の食事は、すべてツアー会社任せで好きなものを選ぶということはできなかった。朝食だけはバイキングでいくらかの選択権はあったがそれは微々たる範囲内である。

昼と夜は決められた料理が出てくるのを待つだけであった。特に喰い道楽ではないし、家庭でも出されたものを何でも食べる習慣がついているので不満はない。もしオプションならばメニューを見ながら悩まなければならないからこのほうが負担になるくらいだ。

しかし、ツアーでは観光客用の安い店につれていかれる可能性が高く、イタリア本場のほんとうの美味しい味に出会えたかは疑わしい。

1日目の昼食は、ミラノ名物リゾットとミラノ風カツレツであった。
 まず、リゾットとは何だ!と言うぐらいで、名前も知らない料理を食べるのだから、果たしてどんな盛り付けで出てくるのか興味があった。

出てきたのは金色のオカユと言った感じである。それをスプーンではなくフォークで食べる。箸を使ったほうが楽だがここはイタリア、箸なんてない。

口に入れ軟らかいだろうと思って噛んだ、表面は柔らかでも米の芯は硬い。
出来損ないのごっちん飯と同じである。口の中に入れたわずかばかりの量を何回も噛み砕く、何回も顎を上下させているうちに味が出てきて、これがリゾットというものかとごっちん飯の出来損ないではないことがわかった。

ガイドさんの話によると金色の素はなんとあの高価なサフランだという。その話しを聞いて、安物の料理ではないような気がしてきた。
 カツレツは大きな肉片が出てきた。ナイフを入れると大きな骨にぶち当たった。これでは一層のこと手に持ってかじったほうが良さそうだった。それにしても大きな肉の塊には驚いた。見ただけで腹一杯になる。

その日の夕食は、ヴェネチュアのレストランであった。
 5、6人の店員さんが愛想よく迎えてくれた。初めはイタリア語でしゃべっているのかと思っていたが何回も同じ事を繰り返すので、よく聴いてみると片言の日本語であった。「めちゃおいしい」と店の料理を自画自賛しているのであった。得意になって声を張り上げているところから察して、本人たちはこれが正しい日本語だと思い込んでいるらしい。

このレストランは日本の観光客を相手にしている店らしく片言ながら日本語が通じて助かった。
 この店では、スパゲチーを調理場から大きな鍋ごと抱えてきて、お客に見える所で皿に盛り付ける。私はたまたま盛り付ける場所のすぐ横の席に座っていた。

大きな鍋には10人分ぐらいのスパゲチーが入っている。盛り付けるごとに別の店員がすぐ客に配って廻った。最初は気前よく盛り付けていたが少しずつ盛り付けの量を減らすようになった。最後は残った皿4枚を全部広げ、均等に盛り付け始めた。どうみても最初に配った量より少ない。とうとう盛り付ける時に鍋からこぼれたスパゲチーを手づかみにして皿に入れる。その皿を何食わぬ顔して配って廻った。幸いにしてその皿は私にまわってこなかったからよいものの、イタリア料理とはこんな大雑把なものかとがっかりした。

ナポリでは3回目の夕食となった。そろそろ日本食が恋しくなったころである。ツアー会社はそこを見込んでいるのか、今夜はナポリ名物特大のピッツアを食べる前に海鮮料理を食わせてくれるという。味付けは少し違ったがイカ、タコ料理が出た。魚料理から遠ざかっていたので美味しかった。カジキマグロの刺身も出ると添乗員が言っていたので期待していた。日本に居てもなかなか食べる機会のない魚だ。

待ちに待ってやっと出てきた。大きな鉢一皿が6人分、見事な盛り付けてあった。ふぐ刺しのように薄く切った刺身は皿の絵柄が透かして見える。薄っぺらな刺身を3枚ずつ分けると終わりだった。魚の量が少なかった埋め合わせでもなかろうが皿よりも大きなピッツアにはびっくりした。おおよそ直径30cmはあっただろう。半分食べるのがやっとであった。

「郷に入っては郷に従え」と言うけれど、日本人のせっかちさとイタリア人ののんびりし過ぎには大きな開きがある。

日本だと予約を受けた店では、定刻にはお膳立てして食べるばかりにして待っている。お客はその料理を座った途端にマイペースでガツガツ食べるのが習慣みたいになっている。酒席でない限り20分もあれば食事は終わってしまう。

ところがこちらのホテル、レストランはのんびりしたものである。席について御用聞き(店員)が来るまで待つ時間が長い。今回のツアーはバス二台の60人だったから特に長くなったのかもしれないけど・・・・。

食べる料理は、予約済みだから決まっているだろうにどうして御用聞きが来るのかと思うでしょう。

こちらではテーブルに座ると、まず飲み物の注文をしなければならない。ビール、ワイン、ジュース、日本では水は無料の飲み放題だが、こちらの国では有料でビール、ワインと同列の扱いになる。

レストラン、ホテルのどちらであってもサービスマンは5人ぐらい働いている。その人たちが手分けしてテーブルごとに注文を聞いて廻れば早く済むものを60人相手に1人で注文を受けて廻るから時間がかかってしようがない。ほかの店員はただ立ってその様子を眺めているだけだ。役割分担が決められているのかもしれない。

その御用聞きの指示で残りの店員が注文の品を取りに行く。こんな調子だから初めと最後では20分ぐらいの差が出てくる。最後になったテーブルの人たちは待ちくたびれてしまう。

ある人の話では、まず初めに飲み物を注文し、ゆっくりと飲みながら、これから何を食べるかを考えるのがイタリア風食事だという。

こちらの食事は注文の料理を一度に並べるのではなく、一品ごとに運び、その食べ終わった皿を取りに来てから次の料理を出してくるが、その間の長いこと。

ナポリでの夕食は、午後8時半頃から始まり、引き上げたのは10時半であった。例の海鮮料理が出たあと本命のピッツアが配られるまでに30分もかかった。ワインのほろ酔い加減と昼間の観光の疲れが出て、つい居眠りをしてしまった。眠たくてピッツアの味もわからないまま、最後のデザートはもういらないから早く帰してくれと叫びたいほどだった。

食事が終わってもすぐには帰れない。飲み物の注文をとって廻った店員が、また各テーブルを廻って一人一人の飲み物料金を集金して歩くからだ。

朝は、パンを片手に、もう一方の手には牛乳を持って流し込み、昼は食事しながらマウスやペンを動かす勤め人が多い日本と違って、こちらでは食事にたっぷりと時間をかける民族のようである。
 朝昼晩それぞれに2時間かけた食事だと合計で6時間になる。勤務時間の8時間とたいして変わらない。食事に時間をかけ人生を楽しむ風習は良いことだ。日本人も見習うべきではなかろうか。

@ これでも会話?

ミラノの一夜は明けた。朝食のバイキングも終わり、部屋に戻って出発の準備を終えた。忘れ物がないか何回も部屋を点検したあと部屋のキーを持ってフロントへ降りた。
 これからは添乗員任せでなく個人折衝もしなければならない。その手始めとしてチェックアウトである。緊張した。
 キーを差し出せばチェックアウトだと相手はわかってくれるだろうと無言で出した。フロントには3人の黒人がいた。一番近くにいる男がキーを受け取った。受け取りながら私に話し掛けてくる。大きなくるりとした目と厚い唇の動きを私は見つめた。
 何のことやらまったくわからない。相手は何回も私に問い掛けているようだが答えるすべを知らない。
 横にいた女の黒人が堪り兼ねたのか私に「ウォーター?」と言ったように聞こえた。「ノー、ノー」と手を横に振った。女は「オーケー」と言った後、男性と話し始めた。男性はにこっと笑い白い歯を見せた。
 部屋にある冷蔵庫から飲み物を飲んだのかと聞いていたらしい。チェックインしたのは今朝の1時半であった。その夜はシャワーも浴びないで日本から持参したお茶を飲んで寝た。部屋に備え付けの冷蔵庫があることさえ気付かなかったのに・・・・。



 ナポリでのチェックアウトはミラノから数えて4回目になっていた。「アクア・ワン」とこちらから申し出た。アクアはまぁよいとして、イタリア語で一本をどう発音すればよいのか練習しておいたのに言葉が浮かんでこない。それで「ワン」と手っ取り早く言ってしまった。
 紙幣を取り出そうとすると「ウォーター、ノーノー」と返事した。ここのフロントマンは英語で話しているようだ。
 このホテルの冷蔵庫には、水以外の飲み物は入っていなかった。水はサービスで無料だと出る時になって初めて知った。


最後の夜をローマのホテルで過ごし、翌朝チェックアウトした。今度は無言のままキーを差し出した。フロントマンはコンピューターに打ち込んでいたが印字した請求書を私に見せた。横文字で「アクア 1 3.75ユーロ」となっている。
 ホテルの水は高いので外で買い込み備え付けの冷蔵庫に入れておいた。だからホテルの水を飲んだ覚えはない。ノーノーと手振りしながら拒否した。相手はうなずいて簡単に請求書を引っ込めた。
 言葉が通じる相手ではないと、フロントマンが気を利かせ、問答を避けたに違いない。
 時間が経って、買い込んだボトルと間違えて備え付けのボトルを引き抜き元に戻したことを思い出した。引き抜いた時にカウントされていたのだろう。

こんな調子で、会話が出来ない悲哀をつくづく思い知らされた旅でありました。

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