04北アルプス山行記

燕岳〜大天井岳〜常念岳〜蝶ヶ岳縦走

フィニッシュ・蝶ヶ岳へ

 初日に登った燕岳は、松本盆地から見た時に、つばめが羽を広げたように見えるから燕岳の名前が付けられたといわれている。蝶ヶ岳は残雪の形が羽を広げた蝶に似ていることから付けられた名前だという。期せずしてこの二つの山を縦走した。

 常念岳から樹林帯の二つのピークを越し、蝶槍の尖った姿を見た時、ホッとするより、がっくりきたといった表現が適している。

 深い谷間を一旦降りてからまた急な坂を登ったところに、その尖った山があったからだ。もうわれわれのグループは疲れ果てている。

 時計を見ると予定よりかなり遅れていた。昼食を摂った鞍部で知り合った中年の男性と休むごとに入れ替わって進んでいたが、最後の谷に下りるところで単独行の中年に追い越されてしまった。

 リーダーは、蝶ヶ岳ヒュッテの到着が予定の15時よりかなり遅れるからと、その人に小屋への伝言を頼んだ。その中年は足早に坂を下って消えた。

 谷へ辿り着いてから一息入れ、気合を入れる。空模様が厚い雲に覆われ暗くなってきた。穂高のほうは厚い雲が重なり、時折遠雷の音が聞こえてくる。

 とうとう一番怖い雷雨がやって来るのか?気が焦った。しかし、ここで無理して登っても山頂に着く前にへたばってしまう。もう成り行きに任せるしかない。

 山頂に登りつくまでほとんどが樹林帯で見晴しはあまりよくない。休憩しながら前常念岳と常念岳を振返り、現在の高さの位置を判断した。

 先頭と最後はかなりの開きがある。先に辿り着いたグループが蝶槍から叫んだ。
「フュッテが見えたぞー」、その声を聞いてから10分後に蝶槍の岩場に着いた。

 先頭のグループは先へ進んでそこに待っていなかった。
 今夜泊るフュッテを探した。それらしき建物は近くでは見当たらない。遠くに目をやると赤い小屋らしい建物がかすかに見えた。

 これを見て、また疲れがどっと出た。しかし、この先はなだらかな高原を縦走すれば辿り着ける。気を取り直し歩き出した。いつの間にか雲が晴れ、遠雷の音も消えていた。

 重たい足を引きずりながら小屋入りしたのは蝶槍を発ってから1時間後の16時10分であった。


待ちに待った蝶槍が見えるところまでやって来た。だがそのまま登るわけにはいかない。
深い谷間に一度下りてからあの頂上までまた登るのだ。疲れた時にいつも思うことは、向こうの山にワイヤーを張り、ぶら下がって谷を越えれば楽なのに・・・。
空は厚い雲に覆われ暗くなった。
雷の発生が心配でしかたがない。
蝶槍の山頂から南方向を望む。

今夜の宿泊地、蝶ヶ岳ヒュッテは遥か遠くの山頂に小さく見えた。
尾根伝いに続く道は視界がひらけ疲れをいくぶん和らげてくれる。
いつの間にか雲は消え、雷の音も聞こえなくなっていた。
とうとうやって来た。蝶ヶ岳フュッテである。
蝶槍から歩くこと1時間、身体よりも精神的な疲れが大きい。精神的な疲れは一夜を過ごせば回復できる。
身体の故障もなくここまで来れたことをわが身に感謝しなければ・・・。
山小屋での最後の夕食。

ご覧のとおり、うなぎの蒲焼である。
ビックリするやら嬉しいやら。
ビールで乾杯!料理はビールの肴に消えてしまった。
吸い物だけでご飯を食べる。昼弁当のまずさで夜の食事は特別美味しい。
夕暮れの槍ヶ岳。
今夜の部屋は、屋根裏の3階、天井は三角形で一番高いところでも中屈みで歩かなければならない。一晩のうちに3回も頭を天井にぶっつけた。板の間の相部屋であったが隣は空きベットで気分的には楽だった。
部屋に一つしかない窓から写した『暮れゆく槍ヶ岳』
月夜の槍、明け方の槍、暮れゆく槍と、いくつもの顔を持つ槍であった。
翌朝(28日)4時起床。
今朝も快晴である。ご来光を待つ人たちが小屋の外で待っている。
4時半出発で朝と昼の弁当は、4時半に受け取る約束であったが時間になっても従業員が起きて来ない。「弁当はどうせご飯が固くて食べられないだろう。自分が持っている非常食を食べよう」と全員の意見が一致、弁当は受け取らずに定時の4時半下山した。
コースは長塀山〜徳沢〜上高地。これからまだ長い道程が待っている。今日中に長崎に帰りつかなければならない。飛行機は最終便を予約しているし、これ以上出発を遅らせるわけにはいかなかった。
写真は上高地・かっぱ橋から穂高の山々を見上げる。青い空に白い雲が浮かび3日間のうちで最高の夏空であった。
上高地までは一般車両は登って来られない。
このバスは専用のシャトルバスである。低公害車両の文字が珍しかった。
平湯温泉ゆきは11時10分。乗車口に並んで待った。1台では乗客は積み残し、われわれは臨時バスで平湯温泉へ下った。

もう一つ、冷や汗ものの出来事を忘れるところであった。
きのう蝶ヶ岳フュッテで疲れきった身体を玄関の板の間におろし、靴の紐を解いた。そのときストックと肩にかけていたカメラを靴置場の上に置いた。ストックとカメラのことは忘れザックだけを抱えて3階の部屋へ上がった。
忘れたことに気が付いたのは夕食前の2時間が過ぎたころであった。
カメラにはこの4日間の思い出が詰まっている。血の気が退くのが分かった。半分はもうないものと諦めて急いで階段を降りた。
{あったぁ!}靴置場の上にそのままあるのを見た時の嬉しさ。登山者全員に頭を下げる思いで、あらためて登山者を見直した。

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