手記・あなたならどうする
楽には逝けぬ冥土へは(2)

いずれこの時が来ると分かっていても認めたくないのが人情である。会葬の準備をしておかなければと思いながら、とうとう何もしなかった。仕舞い込んでいた喪服を取り出すなど、あれもこれもと揃えるのに時間がかかった。

高速道路を走っている間、これまでのことが断片的に浮かんでは去っていく。

※うしろ髪引かれる思い 

3月9日、母の容態がおかしくなったが一刻を争う状況ではないので明日にでも出向くように、と実家から連絡があった。

翌朝、実家に行ってみると、「国立病院へ行っています」と玄関に張り紙が貼ってあり家は留守だった。

肺機能の低下による呼吸困難で容態が急変し、救急車で入院したという。

老後は何十年も入院したことはなかった。この時が初めての入院である。集中治療室のベッドにはチューブ類を刺しこまれ、酸素マスクをした母が横たわっていた。

意識ははっきりしていて声をかけると顔の表情で反応してくれた。集中治療室は身内の者に限り10分間の入室が許可された。

10分は短く感じた。その間には顔をしかめ酸素マスクを手で払いのけようと何回もした。そのたびに手を握り抑えた。

治療室は完全看護で身内が付き添ってやることはできない。しかし、完全看護とはいいながら一人の患者に一人の看護士が付き切りとはいかないのではないだろうか。

もし看護士の目が届かないうちにマスクを払いのけたら・・・。

病院の体制を信じながらも、うしろ髪引かれる思いで集中治療室を出た。

※ 転院・在宅療養の打診

治療の甲斐あって安定した日々が続いていた。2週間が過ぎたころ、容態が安定したので退院するか他の病院へ移ってもらいたいと医師から迫られた。

酸素マスクをし、鼻から胃へチューブを通し流動食を流し込んでいるというのにどうしたことかと病院の非情さに驚いた。国が進める医療費抑制の施策で、同じ病院には3ヶ月は入院できないと聞いたことはある。

しかし、まだ半月も経っていないのに、安定した病状とは言いながら良くなったわけではない。病状は悪いレベルで平行線にあるのだ。これでは病人を寒む空に放り出すようなものである。

この経緯を後で調べてみると、病院のベッドには、発症直後で集中的な治療が必要な人が入院する「一般病床」と、慢性的な病状で長期入院が必要な人の「療養病床」に分かれているそうである。この医療センターは一般病床のみの病院であった。

救急車で運ばれた母は、発症直後の治療が終わり、これからは慢性的な治療と医者が判断し、転院か在宅を促したのであろう。

また国立病院は、独立行政法人になり、採算性を重視した病院経営に変身、医師といえども経営を頭において治療しなければならない時代のようである。

※ 再入院

患者は弱い立場である。追い出す方の病院に転院先を見つけてくれるようお願いしたがどこも満員で今から申し込んでも何ヶ月先になるのか見通しは立たないという。

療養病床は、全国に37万床あるといわれている。これらの病床が介護保険の対象となる高齢者たちで満床なのだ。予約待ちで在宅療養者を含めるとわが国にはどれくらいの要介護老人がいるのだろうか。

健康なうちから療養病床のある老人施設を予約しておかないと大変なことになると母のこともだが自分の行く末が案じられてならない時代になった。

再三の催促に病院側に負けてしまった。母にとっては、自宅に戻り落ち着くだろう。しかし、酸素マスクをし、鼻からチューブを入れ経管栄養液で生活するとなると、入院前の在宅介護とはまったく異なる。

姉と弟は大変さがわかっていても自宅に引き取るしかなかった。

入院期間20日で3月28日母は自宅に戻った。翌29日、呼吸困難の発作に襲われ、再び救急車で元の病棟へ運ばれた。
(第3回へ続く)

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