熊野磨崖仏

旅行日 2005・11・28  (写真は文末に7枚あります)

いつかは出掛けたいと思い続けていた熊野磨崖仏を拝観するチャンスがやってきた。

 とはいっても拝観が目的ではなく、妙善坊から大観峯・八方岳と鋸山岩尾根を歩き、熊野権現社へ降りてくる普通の参詣順路とは逆の形となった。

 豊前・国東は、国東半島の人口よりも石仏のほうが多い、と昔の人は言ったそうである。これほど多い石仏の中でも熊野磨崖仏は大きい彫り物として有名である。

岩尾根歩きに疲れ、樹林帯の下り坂に差し掛かったころ、この先は熊野磨崖仏へとつながり一人200円拝観料をいただくという道標が建っていた。この札を見てやっとゴール間近かになったな、と一息ついた。

この道標を見てから熊野権現社の屋根が下の方に見えるまで、九十九折れの坂をかなり下った。途中でモミジの巨木に出会った。見上げると十数メートルの上空で今を盛りに紅葉が花火のように枝を広げ映えていた。

2人で両手を広げ、つなごうとしたが届かなかった。幹周り3メートル以上もある大物に出会ったのは初めてである。

権現神社は鬱蒼とした樹木に覆われていた。湿った暗い感じの境内である。時折雲の切れ間から差し込む陽でイチョウとモミジが艶やかに映え境内をぱーっと明るくした。

帽子を被ったまま拝礼して、乱れ石積みの階段を下りた。右手の樹間越しに巨大な大日如来像が見えてくる。その少し離れた岩崖には不動明王像があった。

参詣の観光客が数人見上げていた。その人たちが小人のように小さく見える。それもそうだろう不動明王像は8m、大日如来像は6.7mもある巨像だ。

浅はかな考えで、よくも根気強く彫ったものだ。足場はどうして組んだのか。何人で何年かかったのか、と経済的、打算的な考え方をしてしまう。

艱難辛苦が修行であり信仰であった人たちの賜物である磨崖仏の礼に欠けるわたしである。愛嬌のあるお顔の大日如来さま、憤怒相ではなく穏和で慈悲深いお顔の不動明王さまだから、この俗人の浅はかな心を大目に見逃してくださるだろうと、これまた勝手に都合よく考えるわたしである。

ふたたび乱れ石積の階段を手摺に掴りながら下り始めた。どこまでも続く不規則な石の行列は歩きにくいことこのうえない。鬼が一晩の内に100段の階段を作ったといういわれのある階段だから丁寧に積む暇はなかったのだろう、と納得しながら手摺を頼りに下った。

この不規則な階段をどのようにして数えるのか知らないが規則正しく積み上げても100段、200段の長さではなかろう。下から登ってくる人とすれ違うとき息が弾んで今にもへたり込みそうな息遣いが聞こえてくる。

工事中の沢沿いの参詣道を下り続けると拝観受付の建物がやっと見えた。ここまで下りてくると樹木もまばらになり、イチョウやカエデの紅葉で明るくなった。

拝観料は先に通過した今日の会計役が団体で支払い済みでフリーパスする。受付を抜け右に曲がり、坂を少し上がるとそこは胎蔵寺であった。

まず目に飛び込んできたのはぴっかぴっかに輝いた幾つもの像だった。これは何だろう?近寄ると七福神である。金ぴかのメッキと思いきや、小さな金色シールが貼り付けてあった。子供の指の爪ほどの大きさしかないシールには梵字が印刷されている。梵字は「く」の字に似ているが何と読むのだろう。

社務所の売り場にこのシールがあった。これを買って貼り付けると宝くじが当たるご利益に授かるもしれないという。おみくじの代わりらしい。

「く」ではなく「か」と読み、「種」という意味があるとの説明。まずこの金運の種をまいてから宝くじを買うと当たりくじ間違いなしというからくりである。

磨涯仏を拝み仏の世界に浸り無欲の境地で山を下りて来たのに、たかが300m下界に下っただけで現世利益の欲の世界に戻ってしまった。

バスが待っている駐車場へ向かう姿は、どろどろした欲の現世に自らはまり込んで行く足取りに等しかった。



上空に枝を広げたカエデ

巨大カエデの幹

権現社の紅葉

大日如来像

大日如来像(遠景)

不動明王像(遠景)

乱れ石積の階段
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