これまでの「気まま日記」は「閑人の戯言」として再出発いたします。
 閑人はろくなことは考えません。気に障ることもあろうかと思いますが、そのときは馬耳東風で聞き流してください。(2002・9・13改訂)


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タイトル あんな、こんな
年の暮
H16・12・30

 包丁研ぎは私の仕事である。年に何回も切れなくなると家内が私に差し出す。年末は催促がなくても、おせち料理を作ってもらうために、遅くとも29日までに研ぎ終わるのが習慣になっている。

 包丁研ぎは意外と時間がかかり、のんびり構えないと切れ味良く仕上がらない。時間に余裕がない時には、気持ちばかりが焦ってうまく研げない。

 このごろは包丁研ぎが億劫になってきた。それは力仕事で根気強さが要求されるからだ。何とか簡単に素早くできる方法はないものかと研ぐたびに思い続けてきたが良い案が浮かばなかった。

 今年は12月初旬頃から、楽に研ぐ方法はないかと思い続けていた。鉄工所のグラインダーを使えば簡単に仕上がる。しかし、グラインダーを買ってまではと躊躇していた。
 2、3日前、夜中に目が覚め、物置にハンドグラインダーがあること思い出した。20年も前にテラスの柵の塗装の際、錆落しに使ってからそのままになっていた。

 翌朝、物置から引っ張り出し、ソケットをつなぎ、スイッチを入れてみた。「ビューン」と唸り回転した。2本の包丁は5分で荒研ぎは終った。砥石の仕上げ研ぎに10分。15分で仕上がった。

 これまで2本の包丁を1時間近くかかっていたのに、あっという間に終った。いままでハンドグラインダーを思い出せなかった悔さもあるが、それ以上にこの先、楽できる嬉しさの方が大きい年の暮れであった。


20年ぶりに取り出したハンドグラインダー
納山会
H16・12・27

 昨日はホームグラウンドの多良岳へ登った。今回は、いつもの太良嶽神社より先の前岳(東峰)まで足を延ばした。

 太良嶽神社から前岳まで30分足らずだが、ハシゴあり、ロープありで起伏が激しく、久しぶりに緊張して歩いた。

 山頂は雪こそなかったが、水溜りには氷が張っていた。昼食で箸を握る手が冷たく、今年初めて冬らしさを実感した。

 18名の参加で登下山は賑やかである。登りの嬉々とした会話と違って、下山でゴールが近くなると、年末を控えた現世に引き戻され「大掃除が待っている。あしたから家事に専念しなければ」とため息混じりの会話が聞こえる。「そうねぇ、うちもこれからよ」と女性たちは相槌を打っていた。

 世知辛い暮らしから一瞬であっても逃避できた年末恒例の納山会であった。

今年の漢字
H16・12・15

 年末の恒例行事になった今年の世相を象徴する漢字は『災』と決まり、京都・清水寺の貫主さんが大きな和紙に筆で「災」と書いた、と新聞が報じていた。あまり良いことではないが納得できる漢字だと思う。

 では私個人としての漢字は何か?と考えた。あまり悩むこともなく自然に浮かんできたのは『痛』である。これも明るい話題ではないがしかたがない。

 9月始め、山で左足首を捻挫してから、そのあと背中、腰と痛め、現在回復しつつあるが全治しないで年を越しそうである。暗い一年であった。来年の漢字は明るいものになってもらいたい。

鬼ではなく私が笑う
H16・12.12

 昨年の年の暮れ、来年はもう少し早く取り掛かり、よいものをゆっくり作ろうと思った。その来年が今やって来ている。しかし、まだ取り掛かっていない。年賀状作りの話しである。

 年賀状が発売された時、今年は早く取り掛からなければと思った。ところが1ヵ月半過ぎても手付かずのままである。やろうと思えば出来ないことはなかったのだが・・・。

 年賀状に限らず、行動を起こすのに時間がかかるのは子供のころからの癖で、その癖を60年間引きずったまま生きている。

 学生のころ、尻に火がついたとか、一夜漬けとかよく言っていたが閑人になってもこの諺が通用する暮らしだ。

 たぶん来年の年末もまた同じ繰り返しであろう、と鬼ではなく私が苦笑いしている師走である。

今日は何の日?
H16・12・8

 けさの朝日新聞の社説のタイトルは『12月8日、さて、今日は何の日?』であった。

 本文を読む前に「さて、何の日かなぁ」と考えてみたがなかなか思い出せない。しばらくして12月8日は「フイゴ祭り」だと思った。

 鍛冶屋さんの古くからの年中行事の一つで、若いころ火床のある仕事場に関係したことがあった。火床を祓い清め、そのあと酒宴を開いて酒盛りをした記憶が強く残っていたからである。8日という日付をどうして今まで忘れないのか自分でもわからないが、いつも寒かったので12月だとばかり思い込んでいた。
しかし、後で確かめてみたら12月ではなく、11月の8日が「フイゴ祭り」であった。

 脇道が長くなったが、「フイゴ祭り」のほかには思い出せなかった。本文を読み始めて「あぁ!そうだった」と大きな忘れ物をしていたことにびっくりした。

 わが国がハワイの真珠湾基地を奇襲し、太平洋戦争を始めた日だったのだ。

 63年前のその日、国民学校1年生で戦争開戦の祝賀で提灯行列をしたのが浮かんでくる。その朝は冷え込み霜が強かったことも覚えている。

 63年という月日が、だんだんと戦争という痛ましい記憶を風化させているのは確かである。

 いま、イラク派遣延長のほかに、長射程誘導弾の研究をするとか、しないとか、自衛隊が憲法改正草案を持っているとか、持っていないとか、国民の関心を何時か来た道へまた引きずり込もうと免疫つくりをしているように思えて仕方がない。
一人だけの乾杯
H16・12・6
 今年創立25周年を迎えたハイキングクラブの記念事業の実行委員会を作り、動き出したのは5月下旬。7ヵ月後の12月5日すべての行事を終えた。

「記念の歌集作り」、「記念マーク入りTシャツ販売」、「記念講演、演奏会」、「記念祝賀会」、「趣味の作品展」と盛りたくさんの行事だった。

 名ばかりのクラブ事務局長でよいからということで引き受けていたものの、役柄上そうもいかず、「記念の歌集作り」だけは音痴を言い訳にタッチしなかったがあとはすべて関わった。

 会運営の裏方としての苦労は、他人事として感じていたが実際に携わってみると想像以上のものがあった。しかし、期日が迫るにつけ会員の協力に手応えがあり進行役に徹するだけでよかった。会員のみなさんに感謝したい。

 昨夜は、夕食時に缶ビールで一人だけの乾杯をした。
「プシュッ」と缶を開け、コップに注いで飲むひと口の喉越しは真夏に飲む以上のさわやかさであった。

新紙幣発行その後
H16・11・30

 新紙幣が発行されてからきょうで1ヶ月になった。ところがまだ自分の財布に収まったことがない。無理に交換して手元に持っておきたいという願望もなく流れに任せていた。

 日常生活は家内任せで、買い物に縁遠い身分ではあまり現金を扱う機会が少ないからだろう。しかし、この1ヶ月は、サークルの記念事業の準備でいつもの月より買い物が多かった。

 ひと月に福沢諭吉さんで買い物をする機会は1回あるかないかである。その1回の万円札を出してもおつりは夏目漱石さんばかりだ。

 振り返ってみると1週間に1回ぐらいしか現金を扱っていないようである。それも100円10円の硬貨ばかり。老化防止のためには、お金の計算をしないこの暮らし方が良いのか悪いのかあらためて考えさせられた月末であった。

 あなたの懐には一葉さん、英世さんが温く温くとしていらっしゃるのではないですか・・・・。

年末ジャンボ宝くじ
H16・11・22

 きょうから年末ジャンボ宝くじが発売されたとテレビは放映していた。
 当たったら何に使いますか?というインタビューに、
熟年のおじさんは「家を買う」、小さい子供を抱いている若い男性は「子供のために貯金する」と、どちらもすぐ答えていた。

 おれならどう回答するだろうかと考えたがすぐには浮かんでこない。どうせ当たらないと高を括って買う気もないからそんな夢がないのだろうが・・・。

 だが無理をして考えると、世界を旅したい、家を買い換えたい、車も欲しいと欲望は限なく膨らんでくる。

 しかし、今年中に腰の不具合から開放され、安心して山に登れる身体になりたいというのがいま一番の身近な願望であり夢である。夢が小さいですね

趣  味
H16・11・19

 今年創立25周年を迎えたハイキングクラブの「趣味の作品展」があと半月に迫ってきた。

 15日が作品の持込日だった。会員60名のうちどれくらいの人が出品してくれるか企画提案者兼実行責任者としては心配であった。

 指定した時間内に、公民館へ持ち込んでくれたのは会員の半数近くで予想より多くホッとした。

 集まった作品は、絵画、版画、面や硯の彫物、手芸品、俳句・短歌、書、写真など多種多様のおおよそ50点になった。当日来られなかった人のものを含めると70点近くになりそうである。

 出品点数の多さに会場が狭すぎはしないかと嬉しい心配をしなければならなくなった。
 作品名・氏名のプリント、額縁集めと当分は忙しい毎日になりそうだ。

 それにしても山に登る姿からは想像もできなかった会員の趣味の広さに驚いている。

歩く(2)
H16・11・12

 以前、歩こう会のウォーキングに参加したことがあった。
 山に登るトレーニングをやっていたので足にはある程度自信はあったのだが、一緒に歩いてみて大変疲れたことを憶えている。

 まず歩くスピードの速さに付いて行くのに苦労した。つぎに山道と違って舗装された道路が如何に足腰に堪えるかを身に沁みて感じた。

 ウォーキングもハイキングや山登りも足で歩くのに変わりはないが、その楽しみ方には違いがあるようだ。

 ハイキングや登山は、途中の景色を眺め楽しみながら、如何にして無事目的地に着くかを重視して、ゆっくりしたペースで時間は二の次にする。

 ウォーキングの人たちは、わき目もふらず両手を大きく振って競歩のようにして進んで行く。この人たちの楽しみ目標は何だろうかと思いながら後を付いて行った。

 ウォーキング大会にはタイムを競うものもあると聞いている。タイムに挑戦する者もいれば、のんびりと完走を目標にする人たちもいるだろう。

 歩く趣味にもいろいろあり、それぞれ目的、目標を持って歩いているのだろうが他人は知る由もない。すれ違いざまに挨拶を交わしたあと、この人の歩いている目的は何だろうと詮索してみたくなる。
きょうの三面記事から
H16・11.3

 治りかけていたギックリ腰が再発、床に就いてしまった。時間潰しに新聞を念入りに読んだ。

 意外なことに気付いた。31ページに『紳助さんを書類送検へ、傷害容疑で』30ページには『萩原容疑者に罰金略式命令、交通事故・業過傷害罪で』。

 紳助さんとはタレント島田紳助さんのこと、萩原とは俳優の萩原健一さんのこと、どちらも芸能人である。「さん」扱いと「容疑者」扱いにこんなこともあるのかと思った。

 記事の取扱に新聞社内の規定があるのだろうか。それとも記者任せだろうか。

編集、校正の基準が知りたいものですね。朝日新聞社様

忘れられた紙幣
H16・11・1

きょう11月1日新紙幣が発行された。千円、5千円の肖像は野口英世、樋口一葉に代わり、1万円は福沢諭吉で変わらない。新紙幣発行の最大の目的は偽造防止だという。

脚光を浴びる新紙幣に比べ、まったく存在を忘れられた紙幣もある。それは2千円札だ。本当に市中に出回っているのだろうかと疑いたくなるほど、その姿を見ない。

私が2千円札を最後に見かけたのは2年も前である。町内会の会計をやっていたとき、集金したなかに1枚だけあった。この2千円札が1枚含まれていたためにお札を数えるペースが狂い、面倒さを感じ一層のことなければよいものをと思った。使い勝手の悪いお札である。

2千円札の肖像は誰だか皆さん覚えていますか。

主婦のフアン
H16・10.25

 プロ野球の日本シリーズは、3勝3敗のタイに持ち込み、今夜いよいよ決勝戦。

 我が家のカミサンは大の巨人フアン。ところがシリーズ戦は違うようだ。中日がリードすると機嫌が悪く、西武が調子よいと喜んでいる。私は、どちらが勝っても負けても接戦で楽しませてくれればそれでよい。

どうして西武を応援するのかと聞いてみた。
「西武が優勝すれば、西友が優勝セールをするから」近くに西友の店がある。

 なるほど、現実的なフアンである。
 これでは、ダイエイが「フォークス」を手離したくないのも無理はないと思った

歩  く
H16・10・22

 歩数計をつけて歩くようになって1ヶ月になる。
 生まれてこの方、歩くこと自体が生活であり、「歩き」を意識するようなことはなかった。呼吸していても普段忘れているのと同じ感覚であった。

 ところが車という文明の力が庶民の手に届くようになり、歩くことを嫌がるようになってしまっている。近くの店へ買い物に出かけるのも車を使うようになった。
 人間、一度楽を憶えると苦労が馬鹿らしくなり、楽な方へと傾いていく。

 その楽の報酬は、運動不足による成人病で医者通いとなって現れる。近くの用事は車を使い、その一方では健康のためにと、わざわざ時間を費やしてウォーキングをする滑稽さを歩きながら感じているこの頃である。

七十背
H16・10・9

 健康には自信を持っていた。ここ2年ばかり体調はよく、医者とのお付き合いも遠ざかっている。

 暑かった夏も過ぎ、これから山登りには最高の時期だと張り切っていた。ところが1ヶ月前から身体に違和感を生じるようになった。

 前屈みの姿勢になると背中から腰にかけ瞬間的に両方の背筋が痛む。50代に苦しめられた『五十肩』によく似た症状である。五十肩は前触れもなく突然やってきて数ヶ月間苦しめたあといつの間にか去っていった。

 背筋の痛みの原因をあれこれと詮索してみるがそれらしいものに辿り着けない。当分は鎮痛の貼り薬でようすを見るしかなさそうである。

 原因不明で五十肩によく似た症状が、70歳になってまたやってきたので『七十背』とでも命名しておこうか。

新  涼
H16・9・2

 8月から9月に暦が変わった途端に気温が下がった。一時的な現象かもしれないが猛暑から涼しさを通り越し、寒さえ感じる。

 今朝は、半袖のTシャツでは寒く長袖を取り出して着た。ズボンも短パンから長ズボンに替えた。これでちょうどよいくらいだ。

 こんな格好で、新聞を読んでいたら「折々のうた」(朝日新聞)に『新涼や生命線の伸びるごと』の俳句が載っていた。解説によると「新涼」は秋に入ってはじめて催す涼しさをいう季語で「涼し」は盛夏のころの季語だそうである。

 冷んやりとした今朝のひと時は「生命線の伸びるごと」を我が事として実感した朝であった。

勘違い
H16・8・6

 宅配便屋さんが高い声で「こんにちは!宅配便ですぅ」と言っている。
 私は二階でPCとにらめっこしていた。二階の窓は開けっ放しで扇風機を廻している。下に居るはずの家内が応対に出ないので「はーい」と言いながら玄関へ降りて行った。家内は下の部屋にいた。そんな声はしなかったよ、と怪訝な顔で私を見た。玄関のドアーを開けると誰もいない。確かに呼び出していたのに・・・。

 あの声は30mぐらい離れた隣の家の呼び出しで、風の向きで二階に居る私の部屋に流れ込み、我が家の呼び出しだと勘違いしてしまったらしい。

 もっと高い声で話せ、といつも注文をつけているこの耳にしてはおかしなことである。

 連日の猛暑続きで耳まで狂ってしまったようだ。

今朝の味噌汁
H16・7・29

 3日間、北アルプスの夏山を歩いてきた。
 山歩きは、暑さと雷を避け早朝の出発となる。3日間とも4時起床、4時半に山小屋をスタートした。
 山小屋の朝食時間は6時からが一般的のようで、朝食時間まで待てはおれない。そこで朝食は弁当にしてもらい、昼食の弁当と一緒に前晩にもらっておいた。

 歩き始めて1時間半が過ぎたころお腹が空いてくる。見晴しのよいところで下界を眺めながらの食事はまた格別で、この美味しさはハイカーだけが味わえる特権である。

 とはいってもすべて満足とはいかない。ザックの荷を軽くするために、ガス、コンロを省き、即席の味噌汁も作れない装備の高齢者登山であるから・・・。

 味噌汁なしの朝食が3日間続いた。恋しいのはやはり我が家の味噌汁であった。
 その味噌汁を4日ぶりにたべた。もう何年も食べ続けたいつもの味に違いはないが、改めて我が家の味噌汁の美味しさを味わった朝であった。

弱気の虫
H16・6・29

 登山靴、ヘットランプ、コンパス、ザック、雨衣を山登りの最低必需品として買ってからもう5年になる。

 今年7月下旬の北アルプス山行に備え、大雨警報が出ているにもかかわらず土砂降りのなかトレーニングに出かけた。

 山の天候はいつ急変するかわからない。夏山は台風あり雷雨ありで、これに備え訓練をしておかなければならないからだ。

 いつもより強い雨に、雨衣がすぐ濡れて重たく感じた。雨衣は濡れてあたり前だが雨が雨衣に染み込んでは意味がない。

 買った当時、ゴアテックの雨衣は高級品で高価であった。体内から発散する汗は外に逃がし、外からの雨は浸透させない優れものだと人気商品だった。

 新品の雨衣は、ハスの葉っぱのように雨を丸めて弾き飛ばしていた。時が経つにつれその働きはだんだんと衰えてくる。

 もう5年も使ったのだから元は取っていることは理解できる。では新しく買い換えかとなると「もう、この先長くは登れないだろうに・・・」と弱気の虫が囁く。

 普段は「まだ、まだ」と空元気を出していても、年ごとに弱気の虫が頭をもちあげてくる機会が多くなった。

 とりあえずは、揆水スプレーで凌ぎ、新品購入は見合わせておこうと、弱気の虫に軍配があがった。

癒しの雨
H16・6・24

 朝、寝床で横になったまま、葉っぱをたたく雨の音を聞いた。

 今年の梅雨は名ばかりで雨の日が少ないようだ。田植えを待つ農家の人たちはもちろん、畑の野菜、庭の花木も雨を待ち望んでいたがなかなか降ってくれなかった。

 渇ききっていたのは大地や植物だけではない。私も精神的に渇き疲れていた。

 ポツンポツンとゆっくりした調子で降り始めた雨は、少しずつ間隔を早め本降りの様子になっていく。

 雨の音は、外に出て直接雨にうたれているかのように身体に浸透し、渇きを癒してくれる。安堵したのかいつの間にかまた眠ってしまった。目覚めたのは7時前、本格的な雨になっていた。

 起きて手帳をめくった。16日ぶりの雨である。

嫌な珍客
H16・6・18

 朝6時、ラジオ体操に出かけようと玄関に置いている運動靴を引き寄せた。細長いものがグニャグナと動いた。ミミズが靴の下にいたのかと思った。

 長さは15センチほど、割り箸半分ぐらいのぐらいの太さで色はグレーである。玄関のドアーを開けてよく見ると蛇だった。
 いつもは蛇に出会うと怖くて肝っ玉が縮む思いをしているが、今朝は違った。サンダルの先で身体に触りもてあそんだ。ミミズのように動き回り、どことなく可愛さがある。

 ところが口先から電波のような舌をペロペロと出した途端に、大きな蛇を思い出しギョッとした。もう、もてあそぶ気はしなかった。箒で塵取りに掃き入れ、庭の植え込みに捨てた。

 子供の蛇がいるということは、この近くに親がいる証である。今年は蛇に怯えながらの夏になりそうだ。

雨にも負けず
H16・6・9

 二、三日前に梅雨の中休みは終わり、また雨模様に戻った。
 わがハイキングクラブは、7月下旬北アルプス登山を計画している。山歩きに興味ある人は、富士山と並んでアルプスにも一度行ってみたいと憧れるではないだろうか。

 アルプスは、九州に住んでいると地理的に不便で、たびたび行けるところではない。年に一度の計画はお祭り的行事といっても良い。それだけに楽しみも多いが長丁場の縦走には緊張もある。

 山に連泊するとなると、一日や二日の雨は覚悟しなければならない。そこで装備一式を背負って雨の多良岳へと訓練に出かけた。

 興味のない人たちは、この悪天候をものともせずに山へ登るグループを見てあざ笑うかもしれないが、当人達は一向に気にしないで黙々と山頂を目指した。

 これからの1ヶ月間は他人の思惑を無視して、雨にも負けず、風にも負けずのトレーニングが始まる。

スミダノハナビ
H16・5・30

 九州地方は29日梅雨入りした、と気象庁は発表した。
 長崎地方は、例年より7日、昨年より11日早いらしい。今年は陽性型か陰性型が気になるところだ。
 梅雨とくれば、菖蒲に紫陽花。どちらも雨によく似合う花である。

 先日、娘の嫁ぎ先へ遊びに出かけた。珍しい咲き始めの紫陽花を庭で見つけた。花の名前を尋ねると「スミダノハナビ」と教えてくれた。
 名前がおもしろい。その気になってよく観察すると、花火のように星型の花が 飛び出すような形をしている。

皆さんもご一緒に眺めてください。 (左をクリック)

卯の花くたし
H16・5・15

 五月連休の後半から天気は下り坂で、その後も快晴の日が続かない。
 このような愚図つく天気のことを、その時期によっていろいろと呼ぶことがある。例えば菜の花の咲く時期の長雨を「ナタネつゆ」というのもその一つである。

 以前、NHKの気象情報番組で中村次郎さんの『気象歳時記』を楽しみに聞いていたが、あの方はもう現役を引退されたのか地方の電波ではお目にかからなくなった。

 梅雨入りにはまだ早い5月ごろの愚図つく天気のことを『卯の花くたし』と中村さんが解説されたことを憶えている。そのとき『卯の花くたし』とはなんぞや?と思ったが解説を聞いて納得した。

 五月の初旬ごろから庭先や里山では卯の花が咲き始める。この花時期と愚図つく雨が重なり、せっかく咲いた花を腐らかしてしまうからこの雨を『卯の花腐し』ということであった。

きょう14日は晴れたが、また明日から傘模様が続くようである。たぶんこの雨は『卯の花くたし』になるであろう。( 5月14日記 )

1割負担
h16・5・1

「平成16年5月1日から、病院にかかる時の自己負担割合は『1割』になります」という封書が受給者証と一緒に届いたのは2週間前だった。

いわゆる『国民健康保険高齢受給資格』という恩典で、これまでの3割負担が1割負担になる。

経済面では有難いが高齢者扱いはまだご免被りたい、と反発したくなる気持ちがないわけでもない。

ところで去年は病院通いをしたかな?と振返ってみるが思い出せない。
無病息災というわけではないが、こと改めて病院へ行くほどのこともないのでここ一年は医者から遠ざかっているといったところだろう。

この1割負担の恩典をできるだけ行使しないよう、これからも健康は『足』で稼ごうと思っている。

ゴールデンウィーク
H16・4・29

 ゴーデンウィークの始まり。
 今年は、期間中に山に登る予定はない。去年は二泊三日で阿蘇、久住に出かけた。

 今年は山に登る予定がないためか、緊張感というか張り詰めた気持ちがなく、のんびりとしている。いち日ふつかは予定があることはあるが、身近なところで外泊する訳ではなく簡単に終る。

 テレビなどで交通機関のラッシュ情報などを見ていると自分だけが取り残されているような思いがしないでもない。いつの間にか予定表が詰まっていないと不安で落着かない人間になってしまったようだ。
 のんびりすることに落着かないとはおかしな話しである。

肩の荷
H16・4・22

定期預金証書、預金通帳、印鑑、現金などすべてをザックに詰める。
泥棒?家出?と早合点してはいけない。きょうは朝から町内会会計係の後任者への引き継ぎの日である。関係書類も詰めるとかなり重くなった。
 一昨日の総会で収支決算報告、来年度予算案の説明をし、やっと役目を終えた。
 約束の時間に間に合うよう公民館へ。この道を何回行き来したのだろうか、暑い時、寒いときのことが甦ってくる。ザックは重いが気分は軽い。
 引継ぎを終わり、サックの軽さをしみじみ味わいながら家路に向った。(2004・4・21)

退職挨拶状
H16・4・14

「ばってん亀さん、お元気ですか。とうとう卒業しました」と添え書きされた一枚の挨拶状をもらった。差出人は、NBCラジオの圭さんからである。

ちょうど一年前、拙いこのホームページが縁で、スキッピーの生放送に出させてもらった。その時のレポーターが圭さんであった。
わずか5分たらずの時間であったが、あがってしまった私を柔らかな話術で導いてくれ、無事に放送を終えさせてもらった。

思いがけない緊張の時間ではあったが今となってはわが人生の記念すべき一ページとなっている。

圭さんありがとう。その笑顔とソフトな語りかけで楽しい人生を送ってください。お疲れさまでした。

      新住所が分からないので、このコーナーで返信します。読んでくれるかな?

どこまでが本当か?
H16・4・10

十日ぐらい前、私の隣の家に泥棒が入ったと家内が近所の人から聞いてきた。

その隣の家は普通の民家とは違う。ある宗教団体の頑丈なビルで、簡単に泥棒が入れるような建物ではない。

その近所の人はビルとは5、6軒も離れた所に住んでいる。
私のうちに刑事と名乗る人が、○○に泥棒が入ったからといって聞き込みにきた。私はその人を本当に刑事かどうか警察署に電話して確かめたら間違いなかった」という話である。

家内の話しを聞きながら、どうしてすぐ隣に住んでいる私のところに刑事は尋ねないのか?と思ったが・・・。
 戸締りを頑丈にしないといけないなぁ、と家内と話してその話は終った。

十日後、町内会の回覧版が廻ってきた。家内は孫娘のところに泊りがけで出かけ留守だ。いつもは家内任せの回覧版を私がビルに届に行った。
 ついでに「お宅に泥棒が入ったとの噂ですが本当ですか?」と尋ねてみた。

「???そんなことはありません。いつごろの噂ですか」と管理人のおじさんから逆に質問された。
 この噂、どこまでが本当か分からなくなった。

富士山を見下ろす
H16・3・27

絵画、写真で見かける『富士山』は、見上げたり横から眺めた構図のものが多い。ところがまったく違った角度から写した富士山に出会い、これまでのイメージが変わった。

私が所属するハイキングクラブに最近入会された園田さんは諫早に単身赴任中で、月に数回、川崎市の家族のもとへ帰られる。その行き帰りの飛行機から撮られた航空写真である。
皆さんにも見ていただこう。
http://wing.zero.ad.jp/sonoda/

うぐいす
H16・3・9

「いまの鳴き声は・・・?」空耳ではないかと疑った。しばらくしてまた聞こえてきた。確かにウグイスの鳴き声である。

道一つ隔てた高校の敷地からだ。敷地の周囲には楠や檜の高木が植えてある。その樹にとまって鳴いているのだが姿は見えない。
 ことしも里山から住宅地まで下りてくる時期になった。まだ上手に唄えないが日ごとに上達していくだろう。

ゴールデンウィークのころののんびりとした鳴き声が楽しみである。

うるう年
H16・2・29

 1日を得したと思うか損したと考えるかは人それぞれだろう。
きょうは2月29日。4年に1回のうるう年である。
 社会人になった若いころ、寮生活をしていた。年功序列の給料はわずかだった。給料は月決めで一ヶ月働く日数に関係なく一定している。
 1日多く働いても給料は同じ、それに比べ寮の食費は精算払いで1日分かさむ。といったことで若いときの閏年は不満だった。

 今はどうかというと、歳を重ねるのが早い。毎月が31日であればなぁ、と思うこの頃である。

カンニング
H16・ 2・27

先日、冬の間は教卓が『弁当ぬくめ』も兼ねていた話しを書いた。そのとき弁当の匂いと一緒にもう一つのことを思い浮かべていた。
 こちらの方はあまり良いことではないが一生涯忘れられない思い出である。

たぶん小学4年生だったと思う。2人横に並んで座る木製の机は、隣の生徒の腕が擦れ合うような狭い机だった。
 あるとき漢字の書き取りテストがあった。20問の中に「ハタラク」の漢字がどうしても思い出せなかった。提出時間が迫り焦った。何となく横目で隣を見ると『働く』の字がはっきり見えた。急いで空欄の升目を埋めた。

その後、新聞、雑誌で『働』に出会うとたびに、苦笑しながら当時を思い出している。

裏方さんの苦労
H16・ 2・12

 社会保険事務所の職員を装って電話がかかってからもう15日以上過ぎた。約束した封書は未だに送って来ない。やはり悪徳商売のようだ。

 また息子の住所を尋ねる電話が最近あった。
 今度は、中学校の同級会を企画中の世話人からだった。例により私はその世話人を疑って根掘り葉掘り問い正した。

 結局、世話人の住所、電話番号は実在し信用した。ここまで辿り着くまでに何回も電話をかけ直し時間がかかった。

「何処に電話しても疑われます。時間かけて身分を説明するしかありません」信じてもらいホッとした言葉だった。

 悪徳商売人たちのため、裏方としてまじめに活動する人まで疑われるなか、根気よく世話する裏方さんには頭が下がる。

旗の波
H16・ 2・ 4

 昨夜のテレビニュースは、陸自本隊第一陣を見送る関係者の様子が放映されていた。これを観て子供のころ出征兵士を見送ったあのときの旗の波を思い出した。あの時はまだ学校の先生の教えを信じ疑わなかった。

 昨夜は違った。わが息子を送る立場で昨日の旗の波のなかに私がいたらとしたら、居たたまれない気持ちであったろう。

 隊員の心のうち、家族の心のうちを周りに打ち明けられない時代がまたやって来ているようで怖い。
今年は
H16・ 1・ 5

 年末年始も終わってみればあっという間に過ぎ去っていく。
 この一週間の慌しさが記憶に残っていない。普段よりも回転が速く覚える暇がなかったのかもしれない。終わってみれば精神的な疲れだけが残ったようだ。

『一年の計は元旦にあり』これはもう死語だろうか。あまり聞かなくなった。人に吹聴することではなく自分の心の中で計を立て実行すればよいことではある。

 ところが、まだ今年の計がはっきりと決まっていない。高い目標を立て、がむしゃらに頑張ることもなかろうという気持ちが頭をもたげているからだ。
 新たな目標は立てなくとも、去年なみの生活パターンであればそれで十分だ、ともう一人の私が言う。そう言えば去年は結構忙しく充実していたもんな。

そうだ『去年のペースで、健康で楽しく』肩肘張らずにのんびり行こう。

残  念
H15・12・24

 いつも通る道路わきのプランターに実が開きかけた綿を見付けた。殻が完全に開き白い綿がふんわりと盛りあがる時期を楽しみに待った。
 数日後、もうこれで最高の開きかな?と思ってカメラをザックから取り出した。しかし、ファインダーを覗くと逆光で写すのが難しい。諦め翌日また来ることにした。

 次の日、太陽の傾き加減を見計らってその場へ行った。綿は幹の根元から切り取られ、プランターだけがあった。満を持すのを待っていたのは私だけではなかったらしい。

 花泥棒に横取りされたとは思いたくない。ここまで育ててきた所有者がドライフラワーとして部屋に飾ったのだろう、と無理矢理に自分を納得させ引揚げた。

冬  至
H15・12・20

22日は冬至。立冬と立春のちょうど真ん中の日。冬至といえばまずは柚子湯。食べるものでは南瓜。

 冬至に冬瓜(とうがん)ではなく、どうして南瓜を食べるのかとこのごろ思うようになりました。それはいつも通る道の脇にあるモチノ木に大きな冬瓜がぶら下がっているのを見かけるからです。冬至と冬瓜は『冬』という字から南瓜よりも語呂が合うからです。

冬瓜は夏に良く食べます。夏瓜と命名した方が似合いそうです。南瓜は夏から冬にかけ、いや今は一年中店頭にあるようです。冬瓜は好きですが南瓜はあまり好きではありません。戦争中は南瓜とサツマイモを毎日食べて育ったから見るのも嫌です。

 南瓜と冬瓜について少し調べてみました。

冬瓜は「冬」という名がつきますが、れっきとした夏野菜。キュウリと同じウリ科の植物で保存に適し、まるごと冷暗所に置いておけば、冬まで貯蔵できることに由来しているそうです。さわやかな味わいが特徴的で、水分が豊富で、体熱を下げる効果もあるとか。

 一方、南瓜を冬至に食べるようになったのは、江戸時代中期頃からといわれています。これは、当時は今と違い冬場には野菜が少なくビタミン補給に苦労したことから生まれた知恵だそうです。

 水分豊富で体熱を下げる効果のある冬瓜は夏に、野菜が少ない冬場のビタミン補給には南瓜を食べた先人の知恵を知ると納得がいきます。
 (ばってん広場に冬瓜の写真があります)

新聞記者
H15・12・11

 12月7日から8日間、私が店番をしている『あえる広場』で毎日新聞移動支局が開局された。常設の長崎支局が諫早の『あえる広場』に引っ越してきたというわけである。
 店番をしながら眺めていると、私の新聞記者のイメージとはかなり違っていた。
 記事の整理発送のほかに新聞広告の勧誘、原稿つくりなどもやっているという。
 新聞社といえどもこの不況を乗越えるために少数精鋭で一人何役もこなしているようだ。
 肩にカメラをぶら下げ、手帳にメモを取る格好良さとは違った一面を見た。

 画像は、広告の写真を床に寝転んで写す新聞記者。

     

火の用心
H15・11・27

 いつも朝3時ごろには目が覚め、うつらうつらしている。今までは床から抜けて何かやっていたが、このごろは床から起き上がるのに躊躇する。今朝は5時半に起きたが寒い。何枚も重ね着して耐えた。

 そこで、いよいよ今日からストーブを使うことにした。去年はいつから火を入れたのか日記をめくってみた。11月11日である。去年より今年は15日も遅い。地球が温暖化に向っている証だろうか。

 一旦使いだすと温かい日でも習慣になって火を付けないと落着かない。これから4月中旬まで半年間ストーブとの付き合いになる。
      火の用心!火の用心

円形脱毛症
H15・11・21

 散髪屋さんから「禿げがありますよ」と教えられ、ビックリしてから1年8ヵ月が過ぎた。
 一時期は、点々と髪が抜け、丸坊主なるのではないかと心配し、落ち込んだり、開き直ったりと苦闘した。

 溺れる者は藁でも掴むという諺がある。私は髪でも掴む思いで、評判の良い医者を渡り歩いた。だが結果は思わしくなかった。
 この経験から私の素人判断では、この病気に限って名医はいないと思う。それは病気の発生原因が解明されておらず、治療の方法が確立していないのではないかと思っている。
 10ヶ月の間は医者の指示に従ったが、後は医者通いは止め、開き直った。
 時は過ぎ1年2ヶ月経ったころから抜け毛はとまり、いつの間にか新しい髪毛が生え始めた。

 きのう散髪屋さんで「九割方回復しましたね」と嬉しいお言葉。
なんと新しい髪毛は、年齢に逆らい黒いのが生えている。

嬉しかった
H15・11・ 4

数日後に、『名前』という題名で随筆をアップするつもりで現在推敲中ですが、その随筆は後ほど読んでいただくとして、きょうは昨日の出来事からお話しましょう。

商店街のアーケードを一人で歩いていました。通り過ぎようとしたとき横から「ばってん亀さん」と声をかけられました。その方を向くと若い女性でした。私は彼女にまったく憶えがありませんでした。

彼女は「市役所広報課の○○です」とキョトーンとしている私に身分を明かしてくれました。それでやっと思い出しました。シニアネットのパソコン教室に取材にこられ、そのとき初めてお話していたのです。

一回会っただけなのに、よく憶えていて下さった、とこちらの記憶力の悪さを恥じながらも嬉しくなりました。
 それ以上に嬉しかったのは、通りすがりに「ばってん亀さん」と声をかけられたのは初めのことで、天にも昇る嬉しさで一杯でした。

ハンドルネームで呼びかけられると、もう一人別の私がいるようで何とも云えないよい気分になります。

覚えが悪いから道で会っても失礼するかもしれませんが、また声をかけてくださいね。
 ○○さんありがとう。

滋  雨
H15・11・ 2

昨夜、雷を伴っていたが久しぶりでまとまった雨が降った。
農業を営む人たちにとってはまさに『旱天の滋雨』である。

今朝目覚めてこんなことを思い出していた。わたしが子供のころ、祖父や父は、隣近所の朝の挨拶に「ひさしぶりで、よかぁうりぃでござんしたぁ」と言っていたことを。

今年94歳になる母は、面倒を見ている姉に「よかぁ、うりぃじゃったねぇ」と話しているかもしれない。

『うりぃ』とは佐賀地方(鍋島藩)で滋雨を意味していたようである。

裏 話
H15・10・24

 読む者にとっては面白くても、自分の事となると書きにくいことだってある。
 PCのお師匠さんである『マイタウンいさはや』の管理人さんが私達のことをネタにして『一期一絵』(10月22日付け)のコーナーに書いている。

 内容はこちらを見ていただくとして、当事者である私がこれを読んでも面白い。それは文面以上にそのときの情況が蘇ってくるからかもしれないが・・・。

 ホームページを更新するネタがないと焦るときが多いが、この管理さんのように視点を変えれば案外身近にネタはあるものだと感じた。

 しかし、その出来事をいかに纏め『結』とするか文章の難しいところでもある。

店  番
H15・10・16

よもやわが人生で店番をするとは想像もしなかった。常にお客側で人生は終わるのかと思っていた。

きのう、店で来客の応対をした。別に商売で物を売り利益をあげるわけではないから気楽ではある。

シニヤネット諫早が商店街の空き店舗を借りて、誰でも気楽に立ち寄れる『AER(あえる)広場』を今月10日開店している。その店番の初めての当番が昨日回ってきた。これからも順番がやってくる。

仕事の内容は、一階広場の展示物の管理、説明、二階で開いているPC教室の受け付けなど簡単である。簡単だと高を括っていたが終わってみれば疲れた。慣れないための疲れであろう。

あさ商店街の開店前に店先の掃除をしたあと、受付の準備をする。そのあとは来客を待つ。店先の掃除も新鮮な感じだったが店内から外を歩く人たちを眺めるのも、見る視線が違って新鮮だった。

来客が重なったとき、長く待たせてはいけないと焦り、へまをしてかえって時間がかかったりした。

これからは低姿勢、笑顔を心がけなければならないと思った。

卒業論文
H15・10・ 3
世の中、十人十色というけれど、それにしても驚いた。
あるホームページの掲示板で『卒業論文を譲ってください』という書き込みを目にした。
卒業論文というから、たぶん卒業を控えた大学生であろう。
いったい本人は何を考え学生生活を送っていたのか、また教授はどう指導しているのだろうか、と疑いたくなる。
いまの大学はここまで堕落してしまったのか。だとすればこれからの世の中が思いやられる。
投稿者が欲しいのは『社会学に関する卒業論文』だそうである。
ならば『現代大学生気質』をテーマにして、自分の考えを纏めれば立派な現代社会学の卒業論文になると思うのだが・・・・。
意  外
H15・9・19

 わが町内会も世帯数の増加により来年度からパートの事務員を置くことになった。そのため事務用品や机などの備品揃えに今取りかかっている。

 ちょうどわが市は、庁舎(別館)が最近完成し新館に移転したばかりであった。机なども新しいものに入れ替えるという情報を聞いて、もしパソコンも新しいものと入れ替えるのではないかと思い、町内会長と二人でお古を払い下げしてくれるようお願いに行ってみた。

 パソコンは買い換えないという話であったが、ここで意外なことを知った。
 現在使用しているパソコンはOSが97でハードデスクはFDドライブはあるがCDドライブ無しのものだとわかった。巷ではXPだDVDドライブだと進んでいる。なのに役所では辛抱して旧型を使っていることを知った。

 97は過去のものと思っていたがまだ健在であることに驚くとともに、わが市は辛抱するところは辛抱しているな、と感じて引き返した。

夏の疲れ
H15・9・15

 夏の風物詩セミの鳴き声は、クマ蝉から油蝉へ、油蝉からツクツク法師へと変わった。今年は猛暑が続かないまま秋になった。これからまた残暑が盛り返すのだろうか。

 お盆前から耳にするようになったツクツク法師の鳴き声も、あのせわしさはどこへやら、いまにも息が絶えそうな鳴き声になっている。

 ネジが緩んだゼンマイ仕掛けの柱時計を思い出す。時を知らせる鐘の音は間延びして息絶え絶えで苦しそうであった。

 この時計とツクツク法師の間延びしたリズムが私には妙に重なってくる。リズムの狂ったツクツク法師の鳴き声は、夏の疲れをどっと噴出させ、また秋の到来を告げるリズムでもある。
水飲むな
H15・9・6

 今年は一ヶ月遅れの夏がやってきた。新聞によると9月4日には、九州・西中国地方で運動会の練習をしていた高校生や中学生が、81人も熱中症で倒れたと報じている。外で運動しなくても家の中でも大変の暑さである。

 暑いと汗が出て水が欲しくなる。特に運動する人は汗を大量にかき、水が欲しくなる。今でこそ水分補給の大切さが認められ、大いに飲むべしと奨励される時代になったが半世紀前までは「水飲むとバテる」という考えがまかり通っていたそうである。

 その思想は外国にもあったそうだが、わが国では軍隊の影響が大きいのではないかとある学者が解いている。

『兵士が長時間の行軍をするとき、水分補給は重要な問題である。明治時代の軍隊関係の文章には、行軍中の水分摂取の重要性を指摘したものがある。だが「飲めない状況もありうるので、そのためのトレーニングも必要である」との考えから、昭和初期には、どの程度まで水を飲まずに行軍できるか、という実験が行なわれた。この考え方は決して不合理なものではない。だがそれがいつの間にか、単に「飲んではいけない」という教条にすり変わってしまった。』と・・・。

子供のころ演習を終えて引揚げる久留米連隊の行軍を何回も見かけた。疲れきった兵士の顔が浮かんでくる。たぶん喉が渇き水が欲しかったに違いないとこのコラムを読んで思った。

出典 山本正嘉著「登山の運動生理学百科」より

住民の関心ごと
H15・9・3

 国の音頭とりで、いま市町村合併が進んでいる。現在住んでいる市も、我が生まれ故郷の町もその渦中にある。

 市町村合併は住民の利便性の向上、サービスの高度化・多様化、行財政の効率化など、これからの高齢化社会や低成長時代を乗越えるために必要であり当然のことであろう。

 しかし、理解はできても一住民としては、それだけでは割り切れない面がある。利便性、効率化だけではあまりにも淋しい。人間は感情の動物であり、過ぎ去った思い出を、また故郷の町名を無くしたくないという思いが強い。

 新しい町村名がどう決まるのか、そこに住んでいる者にとっては重大関心事である。

異常気象
H15・8・30

8月もあと一日で終わるというのに毎日雨がふり梅雨のようだ。
 今年の冬は、水不足で騒ぐことはないだろう。しかし、米作は日照不足で10年ぶりの不作になりそうだと心配されている。

 早場米の入札価格はこの不作を見越して3割アップの高値になったという報道もなされた。価格値上げでますます米食離れが進むのではないかと気になるところである。

 気になるもう一つに、わが国の自給率の問題がある。地球上のどこかで、干ばつ、豪雨、猛暑などの異常気象が発生しているこのごろである。また世界の流れは平和とは逆方向に進んでいるように思われる。

 三食ご飯でないと落ち着かないわたしは、外国に左右されないで安心して食べられるように自給率のアップを願いたい。

おめでとうございます。
H15・8・15

 登山を趣味とする者には、日本百名山を制覇したいという夢がある。
 しかし、実現はなかなか難しく『高嶺の花』で終わりがちである。そのような中、わがシニアネット諫早会員であり、またわがオレンジハイキングクラブの会員でもあるS女史は、さる7月31日最後となっていた南アルプス・塩見岳(3,052m)に無事登頂され、見事日本百名山制覇を成し遂げられた。

S女史とはトレーニングでたびたび一緒した。われわれの縦走トレーニングの計画を聞き付け、男性のなかにただ一人飛び込み、頑張られた姿が浮かんでくる。
 1952年、日本百名山の一つ赤城山の第一歩から、50有余年の歳月をかけ、たゆまざる努力と不屈の精神を持ち続け、やっとこの日を迎えられたのである。
ここにおめでとうございますと偉業達成を慶びたい。

女性に年齢は禁句と知りながら、今年古希を迎えられたことを付け加えておきます。
草取り
H15・7・27

この二日、日照りが続いた。天気予報ではこれからも当分晴れマークが続いている。熊本・鹿児島地方に豪雨災害をもたらしたあと、梅雨はやっと明けたようである。

我が家では、梅雨が明けると草取りをしなければならない。
梅雨の間ほったらかしにしていた庭の草が伸び放題である。土が軟らかい時には力まなくても根から抜ける。乾燥するにつれ根は深くもぐりこみ抜くのに時間がかかる。

思い切って今朝から草取りにかかった。庭木の木陰とはいえ正午頃の陽射しは強い。最初の意気込みでは、一日中作業する予定であったが、昼飯のあと横になったら時まで寝込んでしまった。今日午前中の作業量は全体の三分の一。この調子だと半日仕事であと二日はかかりそうだ。
 一年ごとに腰の痛みがこたえ、つらい作業である。

夏近し
H15・7・7

きのうクマゼミの声を聞いた。今年は初めてである。

クマゼミが鳴きだすと一気に夏が押し寄せてくる感じだ。あの声に私の身体は敏感に反応する。身体中の水分が絞り出されるかのように全身汗まみれになる。今年も「暑い、暑い」を連発しながらの夏になりそうである。

夕暮れに雲が切れた。夕陽に映える積乱雲も梅雨明けを示唆しているようであった
  ここをクリックしてください。
クリーンハイキング
H15・6・24

 6月22日小雨降る中、清掃登山をした。毎年この時期に日本勤労者山岳連盟が行なっているもので、今年は31回になるとのこと。私はハイキングクラブにお世話になってから5年になり、登山清掃も5回目となる。

 今回は去年と同じ多良岳山系の五家原岳だった。この山は山頂にテレビ塔が林立し、管理道が広いために歩いて登る人よりも車で登る人の方が多い。

 車で山頂に着き、手分けしてゴミを広いながら降りてくる戦法を取った。登山口まで1時間20分の間に私が拾ったのは写真のとおり。(写真をクリックしてください)

「拾っても拾っても毎回同じことの繰り返し」から、少しずつ減っているように思われる。自然を大切に、きれいにしよう、という意識が広まっているような感じがした。

同級会
H15・6・9

高校の第7回同級会は長崎市内で6月7日の夜、泊りがけで開催した。市内に住むH君がすべてお膳立てをしてくれた。会食は長崎名物の卓袱(しっぽく)料理。出席者は31名中19名。まあまあの出席率である。

各自近況報告を1分スピーチですることになった。1分と決めたのは、以前まで3分と限定したら5〜10分も話し込む者がいたから予防線を張った。しかし、ほとんどが3分以上しゃべった。

病気と孫の話はしない、ということになっていたが、病気知らずでぴんぴんしているA君が、今後の参考のために、病気になる時の身体の症状を教えてくれと申し出があり、病気の話はOKになった。

週に3日腎臓透析している者、腰を痛めている者、心筋梗塞でバイパス手術をした者、碁を楽しんでいる者、終生現役の自営業の者、長崎観光案内ボランテアをしている者、精神障害者更生施設で働いている者などなど。

同級会は最初5年に1回からスタート。還暦を過ぎてからは3年ごとに。古希を迎える次からは2年ごとに縮めた。先が短いとみんな焦っているようだ。
絶滅危惧種
H15・5・24

テレビ番組で、宮崎県綾町の奥深い山の様子を放映していた。
自生ランの花がアップで映され、絶滅危惧種の『ガンゼキラン』だと説明している。

「あれ?あれ?・・・」この花とまったく同じものが、いま我が家の庭陰に咲いている。

 15年ぐらい前に職場の人からバルブ(球根)を3個ほどいただいた。最初は鉢で育てていたが、時が経つにつれ面倒になり、庭の木陰に移しかえ手入れしなかった。木陰が適していたのか、ほったらかしても株は増え、毎年花を付けるようになった。

 貰ったとき名前は『ケイスイラン』だと聞いていた。しかし、図鑑で調べてもそのケイスイランは見当たらず、長い間そのままにしていた。
 テレビを見た後、さっそく図鑑で「ガンゼキラン」を調べた。何と葉っぱの形、花の姿も同じである。猫に小判とはこのこと、家にもこんなに貴重な植物があったのかと驚いている。

 このランが絶滅に瀕していると知ったからには、大切に育てなければと思うのだが、下手に手入れするより、このままほったらかした方が繁殖しそうである。
ガンゼキラン(クリックで画像が開きます)

再  会
H15・5.2

 去年5月、紀伊半島の熊野奥駈け道の一部を歩いた。
 インターネットで知り合いになった京都在住の人に案内してもらい、大峰山山系の大普賢岳から八経ヶ岳までを行者還の無人小屋に一泊して縦走した。

 いたるところで出会ったブナの新緑はすばらしかった。次々と当時のことが甦ってなつかしい。時が経つにつれ、よき思い出の財産となってふくらんでいる。

 今年は、九州の山・阿蘇と九重をまた一緒することになった。ちょうど一年ぶりの再会である。また思い出の財産が増えそうだ。

 天気予報では、3〜5日は晴れ、天気に不安はない。問題は、京都の3人は男盛りの30代ばかり、足手まといにならずに完歩できるかどうかが不安といえば不安である。夜の酒宴を楽しみに頑張ろう。

選挙民を馬鹿にした選挙ポスター
H15・4・21

統一地方選挙が始まった。わが市でも市会議員選挙が行なわれている。

いま選挙ポスター掲示板は、ポスターが一斉に貼られ賑やかである。通り掛かりに足を停め、顔写真を眺めた。三十数枚のほとんどが顔写真と名前で覆い尽くされている。名前と顔を選挙民に知ってもらうには当然のことであろう。

しかし、一枚だけ顔写真はあるが名前がないものがあった。これを見て誰でもが『この人の名前は?』と思うに違いない。一番印象に残るポスターだ。この候補者はそこを狙って奇抜な方法をとったに違いない。

一瞬、『やるなー』と感心したのだが、歩きながらだんだんと不快感が湧いてきた。

選挙は記名式である。顔写真はなくても名前ははっきりと選挙民に公示すべきではないか。選ぶほうは名前を書かなければならないのだから・・・・。顔写真を投票箱に入れるわけにはいかないのだ。

この候補者、選挙をもてあそんでいるのではないか。まじめにやれ! 腹が立ってしようがない。

選挙は国民の税金を使って行なわれていることを再認識してもらいたい。

選挙管理委員会に問う。この戯言が選挙法に触れるならメールで連絡願いたい。即座に削除する。

山への思い
H15・4・15

いつ山に登ったかなぁー。なかなか思い出せない。
 手帳をめくって見ると、一ヶ月以上もご無沙汰である。山登りをはじめてから4年になるがこんなことは初めてだ。

 サークルでは月に最低3回は計画している。そのほかにも別の仲間と登る機会はいくつかあった。しかし、娑婆の雑用に追われ、すべて参加できなかった。このごろはストレスが溜まり何となく苛立っている自分がわかる。

三月、四月は年度代わりの時期。締めくくり、総会準備と追いまくられている。リタイアした身分でどうしてこんなことになるのだ?と不思議であり、納得いかないこのごろである。
 
 そんななか、昨日、久しぶりに長崎の里山・岩屋山に登った。山は新緑で賑い始めていた。

 やっぱり山はいいなぁ。

疑ってみる
H15.3・24

イラクで戦争がはじまって5日になる。
 生死を彷徨っている人たちがいるというのに、同じ地球上ではスポーツだ花見だと楽しんでいる人たちもいる。

 戦況をテレビで見ているといろいろと考えさせられることが多い。第二次世界大戦が始まった年、私は小学校に入学した。言論統制の中で教育を受け、必ず日本が勝つと信じていた。

 いまイラクの子供たちや米国の子供達は、自分の国が正しく、必ず自分達の国が勝利すると教育されているにちがいない。
 
 戦争は言論・報道の自由を奪い、偏った方向に導いていくから怖い。新聞・テレビを見ながら、両陣営が発表する情報は、自国に都合よく編集し直したものではないかと疑っている。

蓼食う虫も
好きずき
H15・2・27

好きこのみは人それぞれに違う」それはわかったうえでの戯言です。
 わたしは下の写真が好きです。
 これは昨年の秋、白木峰のコスモスを見に行った帰りにコスモス宇宙館に立ち寄った時のものですが、二階のコスモス絵画展を見終わり、一階の喫茶室に下りる途中、階段から見下ろした眺めです。
 お客は誰もいませんでした。閑散とした喫茶室は静かでした。しかし、私の目には、白と黒のドレスを着飾った貴婦人たちが踊っている舞踏会のように映りました。
 黒い椅子に白いテーブルクロス、広くて白い床には秋の斜陽がシャンデリアのように輝いていて幻想的でした。

     ここをクリックしてください、画像が開きます。

あの世からの
メール
H15・2・20

まじめな郵便配達の人には申し訳ないが、年賀ハガキを纏めて捨てたり、手紙が届かなかった話を聞くと、あまり郵便は信頼できない。
 それに比べ、いま流行りのE−メールは100%相手に届くものと信じていた。ところが最近こんなことがあった。

ある人から「メールを出したけど届いていませんか」と4、5日経って出会ったときに訊ねられた。届いていなかった。
 送信済みとしてトレイに収まっているという。宛先不明で戻ってもいないし、いったいどこを彷徨っているのだろうと笑い話で終わっていた。

半月が過ぎたころ、問題のメールは届いた。これは一体どうしたことか不思議でならない。

いま意地悪爺はこんなことを考え一人で悦に入っている。
『おれが出したメールが何年も迷子になって、おれが死んだ後に届かないかなぁ・・・』

100円硬貨の話
H15・2・9
 公民館の使用料収入金として受け取った袋の中に、見かけない100円硬貨がありました。
 ゲーム用のコインではないかと疑い、よく調べてみたらなんと昭和33年発行の100円硬貨でした。古銭ではなく現役の通貨です。

 現在の貨幣価値に換算してどれくらいかな?とインターネットで調べたら、昭和35年(1960)の1円は6.18円 になるそうです。ということはこの100円硬貨は618円ということになります。
が、実際使うときは100円は100円としてしか使えない硬貨です。何となく数字のマジックに騙されたような話ですね。

 検索したらこんなことも分かりました。
 100円硬貨は、昭和32年に初めて登場しますが、昭和41年までの間は銀貨でした。
ところが、自動販売機の普及などで100円硬貨の需要が増し、国際的にも銀不足で銀貨をつくるのが困難になったため、昭和42年から白銅貨(銅とニッケルの合金)に変更されたそうです。

 また昭和30年に登場した50円硬貨は、現在のように丸い穴があいていませんでした。昭和32年に100円硬貨が登場すると、50円硬貨と紛らわしいとの世間の不評を買い、昭和34年から50円硬貨には穴があけられたそうです。

 古銭マニアではありませんが、何となく手元に置きたくなった「カメ」です。

接写距離の違いで左右の大きさが異なりますが、現物は同じ大きさです。なお現在発行されている100円硬貨も大きさは変わりません。
丸坊主になった夢
H15・1・28

外出するときはいつも洗面台の鏡と手鏡で後頭部を写し、櫛で砂漠化したところを覆い隠す。そのあと帽子を深く被って外出する。
 いまだに砂漠は拡大するばかり。もう覆い隠す髪毛は残り少なくなった。いつまで続く泥沼か。
 今朝明け方、完全に丸坊主に禿げあがった自分の頭を自分で眺め悦に入っている夢を見た。
 自分の頭を第三者の立場で眺められる夢は面白い。ツルツルテンになった頭は貫禄があり格好よかった。
 いっそうのこと髪が抜けてしまい丸坊主になれば、諦めすっきりと心が晴れるかもしれない。

きょうの新聞記事から
H15・ 1・25

人間同士がどう接しあうかを研究する行動科学の方法論によると、人の内面には三つの自我があるという。

@「親のような優位な立場から相手に接する自我」

A「理性で接する大人の自我」

B「感情的でわがままに接しようとする子供の自我」

気持ちはいつまでも若く持ち続けたいという思いはあっても、体力の衰えはいかんともしがたし、Bの自我のみが膨らんでいくように感じるこのごろである。

意外な犯人
H15・ 1・21

昨年10月中旬、「みちのく紅葉の旅」のツアーでのできごと。
 ミニ白神山地自由散策を終えたあと、案内施設で、世界遺産・白神山地のビデオを見た。そこは広い板の間で靴を脱いで上履きに履き替えるようになっていた。
 ビデオを見てそれぞれバスに戻ってきた。出発時間が過ぎても一人が戻らない。
 心配してガイドさんが案内所まで行ってみると女性の靴がないという。ガイドさんはバスに戻ってきて「女性の方で靴を間違って履いている方はいませんか」と問いかけた。
 みんな足元を見て確かめた。間違った人はいない。それではさっき帰ったグループの人が間違えたのだろうという結論になった。
 とりあえず施設の管理人さんから靴を借りて帰ることになった。借りた靴を履いて施設を出ようとしたとき、一人のおじさんがバスから降りて小走りに施設に向った。
 生理現象でも起こったのかとバスの中からみんなは眺めていた。玄関でおじさんと女性は何か話していたがまた施設の中に戻った。
 しばらくして3人はバスに帰ってきた。
 ガイドさんは笑いながら「大変長らくお待たせしました。靴は見つかりました。出発します」その横でおじさんは恐縮して頭を下げた。
 よもや男性が間違えたと思っても見なかった、と間違えられた女性の方もきまりが悪そうにしていた。

松の内
H15・1・7

松の内というのはお正月の「松飾り」をつけておく期間で、最近では1月の7日までのことをいうようだが、本来は小正月の15日までを「松の内」というらしい。

「松の内」とは新年に際し歳神様を迎えるために道しるべとして門ごとに門松を置き、この松飾りのある期間のことを「松の内」というとのこと。

 今年、我が家は松の絵を書いた紙を貼り付けたが、来年は、これ以上歳は取りたくないから歳神様が来ないように取り止めるか。

字を書く緊張感
H15・ 1
・ 2
 今日は「書初め」の日である。
 いまでも小学校では冬休みの宿題として「書初め」に筆字を書いているだろうか。

低学年の時、2日には墨を擦って、新聞紙が真っ黒になるまで練習し、白い半紙に緊張しながら書いた記憶がある。筆を握る手が冷たかったことも憶えている。

先天的なものか、上手くなろうとする努力が足りなかったのか未だに「カナクギ流」で恥ずかしい。

筆字も鉛筆字も人前で書くのは苦手である。結婚式や葬式などで受付に記帳簿があると逃げ出したくなる。下手だという意識が困じて手元が震えますますもって醜い字になってしまう。

書初めのときとは違った、恐怖感にも似た緊張感は生き続ける限り付きまとうであろう。

今年の感想
H14・12・30

荒涼とした葦原を照らし陽は沈まんとす

(本明川にて写す)

いったいどうなるの?
H14・21・21

来年度予算財務省原案が発表された。明るいものは一つもない。
 また次ぎの年も暗い一年になりそうだ。景気低迷による税収不足で国債依存度が大幅に膨らんだ。これで国民一人あたり350万円の借金になるという。

借金返済に、消費税税率アップ、インフレ策、あるいは幣価切下げが水面下で検討されているかも知れない。たぶんされているであろう。

国民はどんな自衛策をとればいいのだろうか。発泡酒も増税になっては、憂さ晴らしもできない。

これじゃ生きていく楽しみはないね。

チラシ
H14・12・13

新聞受けから取り出す新聞が重くなった。年末になってチラシの枚数が多くなったからだ。あるときは新聞自体より広告チラシの方が重いときがある。

 今朝あまり多いので何枚ぐらいあるか数えてみた。28枚、そのなかにはA3タイプが多く両面ビッシリと印刷されている。

 我が家は、家内が数えるようにして素早く目を通しているが私はまったく見ない。5分もしないうちにゴミ箱直行。よその家庭ではどうだろうか。

広告主は効果があるからお金をかけて折り込んでいるに違いない。

新聞販売所は,チラシで金儲けできるが、重くなった新聞を配達する人はチラシ配達の見返りがあるのかと要らぬ心配をしている。また資源の無駄使いのような気がしてならない。

不精ひげ
H14・12・9

髭は毎朝剃ることにしている。しかし、二、三日外出する予定がない時はよくパスしてしまう。

歳を取ったら身奇麗にしないと余計に爺臭くなる、と連れ合いはいやな目で見る。いまだに頭の円形脱毛症は進行中で回復の兆しはない。あって欲しい頭の髪は抜けるが、無くてもよい顔の髭は一向に減らない。人生なかなか思いどうりには行かないもんだ。

ところで、ここ二日髭剃りを怠り三日目に剃った。電気かみそりは、5ミリぐらいに伸びた髭を剃るのは苦手だ。時間がかかり剃り残しが多い。

そんな時役立つのが従来の手で剃るかみそり。電気かみそりで剃った後剃り残しを安物のかみそりでなぞると簡単に仕上がる。
 皆さんはどうしていますか。

新たな心配
H14・12・3

町内会の会計係を仰せつかり銀行通いが始まって、2年になろうとしている。
 お金の出し入れで、月4、5回は銀行へ足を運んでいる。このごろは慣れて緊張感が薄れてきたようだ。

最初はATMで引き出したお金を信用できずに、一枚一枚数えていたが、このごろは面倒になり、めったに数えることはしなくなった。ということは間違いないから信用したということになる。

すべてATMで用事を済ましているわけではない。払い戻し請求書に記入して窓口で受け取ることもある。

 きのうは、窓口で引き出した。
 名前を呼ばれ、カウンター越しに通帳と元金を受け取った。その場でお金を数えた。お札が一枚足らない。もう一度数え直した。やはり足りない。払い戻しの請求額を書き間違えたかな?先ず自分を疑った。払い戻しの請求書は行員の手元にあり確認はできない。通帳を見た。払い出し金額は現金より多い金額になっている。これでこちらの間違いでないことがわかった。

行員に申し出ると、わたしが書いた払い出し請求書の金額を確かめ、現金を数えた。相手は間違いを認め、1枚追加した。

『念には念を入れ、金勘定をする。先ず間違いはないだろう』と大方の者が銀行を信用している。
 しかし、人間(銀行)には間違いも勘違いもあることを実証してくれた。ではATMはどうだろうか。機械は間違いないといえるか。心許なくなってきた。

これからは初心に返って、ATMから出てきたお札も数えることにしよう。
 だが待てよ、もし間違っていた時に機械では話にならない。その場を離れ、このことを申し出たとき、まず行員はどちらを信用するだろうか。

モ  ズ
H14・11・14

月曜と木曜はゴミの収集日になっている。収集場所まで運ぶのは私の役目。
今朝7時半、収集場所の真上で高鳴きするモズに出合った。
尻尾をくりくり回しながらあたりを見回し、テリトリーを主張している。毎年鳴き声は聴いていたが姿を見たのは久しぶりである。
 朝飯後、モズの俳句にはどんなものがあるかな?と思いたってインタネットで検索してみた。
その中から気に入ったものを三句掲載させてもらうと、

木枯や百舌の忘れし贄一つ、 怠慢を急ぎ立て百舌の高音鳴る、 冬耕の馬を日暮れの鵙囃す。
こんなものがあった。

モズは、藁葺きの家、木守柿、澄み切った空が似合う。

また「季語」についてこんな説明も見付けた。
秋が深まると急に存在を主張し始める小さな猛禽。鋭いくちばしでカナヘビやカエル、カマキリなどの小動物を捕まえて食べる。一年中見られるが、秋になると餌場確保のため柿の木のてっぺんや電線にとまってキーキーキチキチキチ・・・・とやかましく鳴くので急に目立ち始める。「モズの高鳴き」と呼ばれ、この鳴き声のためかモズは秋の季語になっている。』(茨城県水海道市のホームページのインターネット資料から

焦  る
H14・11・5

出発の時間は迫っていた。
今日の山歩きは、藪を掻き分けるようにして登らなければならない。
いま雨はあがっているが昨夜からの雨で草木はびしょ濡れである。
雨衣を着込み、登山靴の上にスパッツを付けると準備は終わりだ。

周りのものはみんな終わってしまっている。私は急いだ。
スパッツのファスナーを引き上げた。途中で動かなくなってしまった。下げたが動かない。また上に引っ張ってみたがやはり動かない。よく見ると縫込みの布を噛み込んでいる。こうなると簡単には直らない。

ファスナーは日常生活でよく使われ、皆さんも時々こんなトラブルで苛立たれたことがおありだろう。

みんなが私の成り行きを見つめている中での格闘は焦る。身体中が汗でびっしょり、山へ一歩も歩き出さないうちに汗掻いてしまった。

        (H14・11・3 保口岳登山口にて)
秋を知る
H14・10・26
 私の部屋には滑車付きの椅子を置いている。両肘掛の上に広い板を載せると即席の机に変わる。この即席机を秋の朝陽の差し込む窓際に転がし、雑誌を置いて読み始めた。雑誌一面に陽があたり眩しい。それでも明るくて読み易い。

文字を追っていると紙面に黒い頭髪が落ちているのに気付いた。手でつまみ取り除こうとした。何回つまんでも掴めない。変だ。
 何気なく手先を横に動かしたら、髪毛にさわりもしないのに、ひとりでに動いた。こりゃますますもって不思議だ。
 食い入るように見つめた。あったあった本物の頭髪が。それは白い髪毛であった。何のことはない黒髪は影である。

 そこで苦笑い。おいおい!笑って済まされることではないぞ。

「一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る」という俳句(諺?)がある。秋のはじめごろ大きな桐の葉が風もなくばさりと音を立てて落ちるのをいうが、私の抜け毛は音もなく静かに落ちたのである。
 音がしようとしまいと、わが人生の秋は駆け足で冬に進んでいるのだから・・・。

団体旅行
H14・10・21
 ツアーで東北の紅葉見物に出かけた。旅行会社のPRに、また初めての地へ行ってみたい、美しいものを見たいという心をくすぐられた。

 楽しい夢を描いて出発。貸し切りバスは高速道路を快調に走り出すが1時間ごとにトイレ休憩をとってくれる。ここで旅をしているのは自分達のグループだけはないことを思い知らされる。

 何台ものバスの中から吐き出される人ひとひと。一斉にトイレへ駆け込み順番待ちの長い行列がたちまちできる。女性のトイレは特に混雑する。

 制限時間の中で用を済まし買い物をするには、のんびりと並んでいるわけにはいかない。勇気ある女性は男性の個室を拝借、すまし顔で出てくる。空いてる個室をうまく利用しているのだから一向に構わないが・・・・。

 これが男女逆だったらどうなることか、痴漢とみなされ連行されること間違いなしである。女性には寛大な世の中だ。
陽射しとパソコン
H14・10・9

急に寒くなり朝は厚手の上着を羽織りたくなった。とりあえず手近かにあるものを重ね着して凌いでいる。
 今朝、カーテンを開けると部屋いっぱいに陽が差し込んできた。
 夏の間、東から昇る太陽は部屋に陽が差し込むことはなかったが9月の中ごろから朝の陽射しが少しずつ部屋に侵入してくるようになった。
 ここ2、3日は曇り空の夜明けだったので、今朝の雲ひとつない冷えた秋空は久しぶりに新鮮さを感じる。ここで百舌の高鳴きでも聞こえてくると申し分ないがまだ今年はやって来ない。
 陽が恋しくなるこれからの季節に部屋に陽が差し込んでくれるのはありがたい。
 しかし、困ったことが一つある。パソコンのディスプレイにまともに陽があたりからである。日脚がパソコンから逃げてくれるまでカーテンを閉め我慢しなければならないデスクトップ型パソコンの悲しさである。

一難去って、また一難
H14・10・8

皆さんのアドバイスで、やっとエクセルの立ち上がりがスムーズになったと喜んだのも束の間、まだ私のパソコンには異分子が介在していた。

印刷プレビュウをクリックすると「不正処理をしました」と表示され、立ち上げたソフトは強制終了になる。プレビュウばかりでなく「印刷」を選択しても同じである。こうなるとわたしは完全にお手上げだ。

会計ソフトを組んでもらっている先生に原因究明をお願いしたところ、試行錯誤の結果、原因は組み込まれたボタンにあることがわかった。ボタンを外せば何事もなく作動する。

しかし、解決策はまだ見つかっていない。どうして私のパソコンはご機嫌斜めで、いつまですねるのだろうか?

みなさん、またよき知恵を貸してくれませんか。

トラブル
H14・10・3

 町内会の会計簿に記帳するのがこのごろ負担になっている。「何とか楽して間違いなく記帳したい」この思いを達成してくれるのは、エクセルを使ってシステムを作ればそれが達成できることはおぼろげながら想像ができる。

 2ヶ月前から会計簿をシニヤネット教室で教わりながら組み立てることにした。
 月に5回の勉強会では間隔が空きすぎてなかなか進展しなかった。

 回を重ねるごとに関数を使っての組み立てはむずかしくなり、習う方はギブアップの状態。

 それを感じ取った先生は方針を変え、一緒に組み立てるやり方から、先生が事前にシステムを組み立てておき、わたしはその構成の説明を聴くという勉強会になった。

 目的のシステムが8割方出来上がったころ、わたしのPCに異変が発生した。

 公民館にあるIT講習会の会場を借りてシニアネットの勉強会をしているがここのノートパソコンで習ったものをフロッピーディスクにコピーして持ち帰り、自分のPC(バイオPCV−R52)に取り込み立ち上げるとソフトが開くまでに10分、また閉じるときも同じ時間がかかるようになった。

 このフロッピーディスクを知り合いのPCで立ち上げるとスムーズに開いた。また別人のPCで試しても問題はなかった。

 そこでPCに詳しい知人、勉強会の先生に家まで来ていただき、エクセルの再インストール、デフラグ、メモリーのチェックなどあらゆる方法を使ってチェックしてもらったが、一週間が経った今でも原因がつかめないでいる。

 システムは780KBとかなりの容量で、元帳にコード番号と日付け、金額を入力すれば、項目ごとに仕分けし、一年間の決算報告書が自動的に出来あがるシロモノである。

 わたしの念願だった数字(コード番号)を入力するだけで文字に変換され記帳できるこのソフトは、不精者にはこたえられない。

 だがこの原因不明のトラブルが解決するまでお預けである。 他人様に頼るしか、なす術がない自分の非力を思い知り、悲しい思いをしているこのごろである。       

ウルトラC
H14・ 9・21

まず状況説明から。
 街の裏通りを向こうから自転車に乗った少女がやって来た。自転車を運転(?)しながら右手で携帯電話を目の前にあげ、親指でボタンを押している。
 これは危ないと感じ、歩いている私は横に逃げた。少女は当然のようにしてすれ違って行った。
 足でペダルを踏み、左手はハンドルを握り、頭では数字を考え、右手親指はボタンを押し、体全体でバランスをとり、目はボタンと前面を両にらみ・・・。
 聖徳太子は7人が同時に話す内容を聞き分けたとか。話しを聞き分けるのは耳と頭を使えばよいが、この少女はすべての機能を同時に働かせている。
 体操競技ではウルトラCに匹敵するかもね。

子連れ女性の発想
H14・ 9・11

“まち”や人を元気にする「コミュニティ・ビジネス」というフォーラムが隣町で開催された。基調講演は『子づれ DE CHA・CHA・CHA』編集長の濱砂圭子さん。
小柄だが話しを聞いていると全身がファイトの塊で圧倒された。子連れの女性にとって日本の社会は『不便、不自由、不安、不満』がいっぱいだという。これらの愚痴をもとに「コミュニティ・ビジネス」を立ち上げたそうである。なんとなく参加したフォーラムだったが男性社会の痛いところを突かれ眠気が吹き飛んだ。

回虫と海人草
H14・ 9・ 5

今日は下の話題で申し訳ない。
 お尻がむずむずして気持ちが悪かった。トイレに入り排便のあとしばらく便座に座ったまま無念夢想の状態でいた。お尻の不快感は残ったままである。この『むず痒さ』は終戦当時(1945年)に何度も経験したことを思い出した。57年前のことで、すっかり忘れていたのに・・・。

 あのころのお尻の『むず痒さ』の原因は、痔の病気ではなく身体の中にいる回虫(当時はサナダムシとも言っていた)が肛門まで下がってきて動き回る不快感であった。トイレに駆け込み力むと大きな白い回虫が出てきた。トイレの中でお尻から出たばかりの白いミミズのような回虫はうごきまわった。
 
 第二次世界大戦後の日本人の健康状態は決して良好とはいえず、殆どの人に回虫が寄生していた。回虫の駆除薬として使われたのが『海人草』という海藻であった。小学校では大きな釜に海人草を煎じ、生徒はお椀一杯ずつ飲んだ。
 その翌日から、二、三日は回虫が何匹お尻から出たか担任の先生に報告をしたものである。

回虫と海人草の話題が通じるのは60歳半ばの高齢者だけだろうか。

雨 予 知
H14・8・24

今朝、明け方から雷雨が発生した。雷鳴と稲光りのたびに目を覚まし、寝ていたような、起きていたような気分のまま朝が来た。いつも6時にはすっきりして目がさめているが今朝は7時になっても身体がだるく、頭が重くて起きられない。

こんなことは子供のころから何回も経験している。
朝起きたとき雨でなくても、頭が重く起き辛いときにはその日のうちに雨になることが多かった。また雨が降る夢を見ると、その日は雨になることが多かった。私の身体の構造はもともと気圧に左右される性質であるらしい。

そのことは他人にはあまり話したくなかった。
 小学生のころ、頭痛と天気の関係を母に話したら『ちけもち』だと言われたことがあった。言葉の意味はわからなかったが病気の一種であるらしいことは子供心に感じた。頭が痛む『ちけもち』という病気は精神病で重くなれば頭が狂って格子枠のある病室に閉じ込められるのではないかとおびえていたからである。

 朝の目覚めと気圧の関係は今も変わりがないが、頭が狂うこともなく古希に近付きつつある。

目 標
H14・8・10

南アルプス登山を終えて2週間が過ぎた。
 登山に備え5月から7月の蒸し暑い中をトレーニングした。トレーニングのほかには、用事も片道1時間以内は歩くことにして鍛えた。汗が流れても雨が降っても気にならなかった。
 しかし、帰ってからのこの2週間、暑い外を歩く気持ちになれない。近くに用ができてもすぐ車を使う。

 ただ健康のために、と言うだけの目標では長続きしないようだ。楽しめる目標をこまめに作り、それに向ってトレーニングする方法が張り合いがあってよい。

11桁の背番号
H14・8・6

住基ネットなるものが、賛否両論ある中でスタートした。何が何でも面子にかけて実施したい国。悪用を恐れて法整備を整えてからという地方自冶体や個人。一番使いたいのは中央官庁らしい。
世の中善人ばかりはいない。運用する役人の中にも、国民の中にも悪知恵を働かす者がいる。この点をしっかり締め出すことができれば問題はなかろうが・・・・。いつも(悪)知恵者が先走る世の中だ。
ところで、この11桁の背番号、私が使う機会があるだろうか。人生のゴールに近づいている私には用はなさそうだ。「あった、あった」、死亡届を出す時に。それは本人では出せないよ。じゃぁ、一回も使わないで、あの世行きか?

親に似たがめん子
H14・7・19

 同じ時間帯に前後して二軒へ電話をかけた。二軒とも親は留守で子供が電話口に出た。最初にかけたのは小学生のいる家庭で電話口に出たのは小学生。後に電話したのは中学生のいる家庭で中学生が出た。どちらにも夕方父母が帰ったら電話するようにと伝えておいた。
 小学生のいる家庭はその日の夕方電話があり用件は済んだ。中学生のいる家庭からは丸一日過ぎても連絡なし。再度こちらから電話して親に用件を伝えた。翌朝私の家に来る約束をした。だがその親も来なかった。
「この親にしてこの子あり」か。似たもの同士の親子である。こんなのを「親に似たがめん子(亀の子)」と言っていた記憶があるが・・・・・。

セキトリ
H14・ 6・27

お尻からカメラを入れて大腸の検査をした。ポリープができる性質なので定期的に調べている。相変わらずポリープはできていたが今回は小さくて切除しなくてすんだ。
 ついでにこのごろ咳に悩まされているので診察してもらった。
血液検査の結果を見ないと判断はできないがレントゲン写真ではたいしたことはないとの診察。
 咳き止めの薬を出しておくから飲むようにと話したあと、『大相撲も観てください』と先生は付け加えた。『????』している私に「関取だから」と言って笑わせた。このジョークは薬以上に効き目がありそうだ。

待ちぼうけ
H14・ 6・17

「今度の日曜日は、朝8時30分からクリーンハイク」。インターネットによる諫早のタウン誌『マイタウンいさはや』のIさんにこんなことを話していたと思う。詳しくは、集合場所を出発するのが8時30分で、現地の山『五家原岳』到着は1時間後である。二人の会話のなかで私が五家原岳に8時30分と受け取られるような説明をしていたらしい。当日、Iさんは8時30分に山に到着されており、私たちは1時間後に何食わぬ顔で着いた。朝早くから1時間も待ちぼうけを食わせてしまった。仲間うちで話す場合、山に登るときの時間は、いつも集合場所の時間のことが多い。山に関係ない人にも、私の思い込みで話し大変迷惑をかけてしまった。
クリーンハイクの情報は「マイタウンいさはや」をどうぞ。

ウイルスチェック
H14・6・12

このごろ、またウイルス付きメールが時々届くようになった。バスターが駆除の予告をしてくれるから被害はないがあまり気持ちのよいものではない。
PCの方は予防対策の効き目があって健康体だが私の身体はこのごろどうも調子がおかしい。数年前から風邪をひきやすくなり年がら年中咳をしている状態である。外敵に対する抵抗力が衰えたのか、チェック機能が低下したかのどちらかであろう。体内にもウイルス駆除ソフトを埋め込める時代が来て欲しいと思っているがそれは無理かな。

さわやかな目覚め
H14・5・27

頭が軽く、さわやかで・・・。こんな目覚めは久しぶりである。
今月21日から26日まで奈良県の大台ケ原と大峰山を歩いた。大台ケ原は観光ハイキング程度だったが、大峰山は和佐又山〜大普賢岳〜行者還岳〜弥山〜八経ヶ岳〜弥山〜栃尾辻を通り天川・川合へ降りる縦走登山。厳しいコースだった。

それでもさわやかな五月晴れの中、朝陽に燃える新緑のブナ林、石楠花、山シャクヤクの花が咲く山道を歩き続けた。新聞もテレビもない3日間はただひたすらに森林浴をしてマイナスイオンを吸い続けた。
行者還の無人小屋では薪を燃やし煙が目に沁み、実家の囲炉裏の焚き火を思い出す一夜であった。マッチを使うのも何十年ぶりかのことであった。
この6日間、世の俗事から離れた暮らしが、このさわやかな目覚めを与えてくれたのであろう。

初めて習った
国語の教科書
H14・5・21

先日、『暮らしの断片』に金毘羅上宮の『カニ』の魔よけの写真をUPした。こまいぬさん「あ」、こまいぬさん「うん」と同じもので神社や寺院にある一対の魔よけだとコメントをつけたら『こまいぬさん「あ」、こまいぬさん「うん」』とはなんですかと若い方から質問を受けた。あぁ!やっぱり通じないのかと思った。私が小学校(正確には国民学校)一年生(1941年)の国語の教科書で習った文字なのです。
初等科第1学年「ヨミカタ」が「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」で始まることから、通称「アサヒ読本」と言われた教科書で、そのほかにも『コマイヌサン「ア」、コマイヌサン「ウン」』というページもありました。
一年生のときに初めて教わった言葉や文字はいつまでも忘れられないものです。さて皆さんはどのような言葉や文字でしたか。

経済観念の差
H14・ 5・ 7
同年輩の友人と旅行会社に行った。手続きを終えて各人で旅行代金を支払おうとした。私は現金、彼はABCカード。彼いわく「このカードで二人ぶん支払うから、あとで私に現金をください」
 いぶかる私に、カードで支払えばカードの利用高によってポイント数が増えるからと・・・。カードの名義人は奥さん。彼は奥さんからカードを持たされたらしい。私も同じカードをもってはいるが引き出しに入れたままあまり使わない。
 毎月郵送される利用明細書にポイントの事が書いてあったような気もするが無頓着だった。もちろん現金を彼に渡した。彼も奥さんもポイントを稼いだわけだ。
拝   礼
H14・ 4・23

私のウォーキングコースは、二つの山のピークを越える上山公園往復縦走である。まず270段の石段を上り詰めると愛宕神社が第一のピーク、次のピークが展望台でそこから県営運動公園まで一気に下りていく。片道30分である。
 愛宕神社では行きも帰りも必ず一礼する。それは『ケガがないようによろしく』『無事に戻ってきました。ありがとうございます』の意味を込めて・・・。
 いつものように帰りに向きをかえて祠に一礼した。石祠の横で人影が動いた。よく見ると石に腰掛けていた中年の女性が慌てて私に頭を下げている。
 私は神様に拝礼したつもりだったが女性は自分にお辞儀したと思い込んでびっくりしている様子だった。面識のない人に頭を下げることは別段悪いことではないが、このときばかりはきまりが悪かった。

二つの飲み会
H14・ 4・ 11

4月初旬、二日続けて飲み会があった。前の日は元職場のOB会、翌日はハイキングクラブ定期総会後の花見だった。
 どちらも飲み会だから愉快なひとときではあったが二、三日経って感じたことは、OB会は先輩後輩、元役職の影が見え隠れして、また話題が過去を振り返り懐かしむばかり。
 他方ハイキングクラブの方は過去の肩書きにこだわらない対等の付き合いで、話題はこれからの目的達成のためのビジョンが主役だった。夢を語れる飲み会は、つい飲みすぎ時間の経つのが早かった。
話題によって酒の美味さも後味も違う。

もう一つの危険
H14・ 4・ 5

このごろの国内ニュースには明るさがない。倒産、リストラ、失業と国民は生活の基盤を脅かされているというのに、国会議員の行為には呆れる。
 公設秘書給与の流用問題は、辻元氏をきっかけに土井党首や田中元外相にも疑惑が持たれはじめた。疑えばきりがないが与野党を問わず洗い出せばほとんどの議員が脛に傷をもっているのではないか、と誰でも思っているのではないだろうか。
 この際、泥試合をして徹底的に洗い出し、不正をした議員は辞職してもらいたいものだ。
 しかし、現状では『正論を吐き不正を厳しく追及する者は足元を掬われる』この傾向が国会内にあり、これではわが身の保身第一で追及の手を緩める議員ばかりになってしまっては国の行く末がますますもって危ぶまれる。