男性料理講座

平成12年8月30日

 私なりの思いがあって男性料理講座に申し込むことにした。
 まず一つは、仕事から身を引いて外界との接触が狭くなり、暇をもてあまし気味の毎日をなんとかしよう。この講座に参加すれば同じ年齢の人と知り合いになり、友達ができるかもしれない。

次に、世間では六十五歳を過ぎると本人の気持ちとは無関係に高齢者と呼ぶ。私たち夫婦はそういう線引きからすると高齢者になったわけである。周りからなんとなく高齢者だと強要されているようでいい気持ちはしないが、そうかなぁ、と老い先を考えることもある。

このまま二人が健康で何時までも過ごせるとは限らない。私が先にあの世に逝き、妻が看取ってくれることを願っているがこればっかりはわからない。逆の場合を想像したとき一番心配になるのが、これまでの家内は作る人、私食べる人の習慣から抜け出し、最低の炊事は出来るようにならなければという思いである。しかし、この思いを妻に宣言して妻から料理を習うには恥ずかしさがあって言い出せないでいた。

 そんなおり、月に一回届く市の広報誌で男性料理講座が開かれることを知った。よいチャンスだとばかり申し込んだ。
 第一回は、八月二十三日午後七時からであった。早すぎるかな、と思いながら十五分前に会場に着いたが、ほとんどの受講生がエプロンを掛け、ヅキンを被り待っていた。「七時からだと思って来たのに、時間を間違え遅かったですかね」
 受け付けで尋ねると、やはり七時からだと言う。最初から皆さんのやる気に圧倒された感じである。
 女性講師は挨拶のなかで「家で料理を作ったことがありますか」と問うた。手を上げた人は一人である。テレビで料理番組は見るが自分では作ったことはないという人、中には奥さんが勝手に申し込んだから来たのだと、みんなを笑わせる者もいた。私が眺めたところでは、還暦前の現役世代が大半で、六十を越えた暇人は少ないような感じである。一人だけ四十代と思われる若い人もいた。

 第一回の講座は、朝食の基本である「ご飯と味噌汁の作り方」である。作り方の説明が一応終わり、五人一組で執りかかる。
 材料は五人分調理台に揃えてある。米をとぐ者、煮干の頭とはらわたを取る人、おっかなびっくりで小葱を刻む様子を見兼ねた先生は、これはあまり大きすぎますよと笑いながら、包丁と左手の動かし方を教えてくれる。

大の男が真剣な顔して両手を動かしている姿は、側で見ていると子供のままごとみたいで笑いをじっとこらえる。

 おひたし用のニラを水洗いしたあと、三、四センチに切っていたら、「それは茹でてから切ります」と先生から注意されレジメを読んでみるとやはり茹でてからと書いてある。

 よその班ではニラを茹でるのに熱湯に入れかき回している。その様子を見た先生は、
「まだニラを茹でてない班は聞いてください。ニラの葉先を束ねて握り、まず根元から三分の一ぐらいお湯につけます。二、三分して根元が乱れないようにそーっと葉先まで全部いれてくださーい」

 うどん玉を茹でるように掻き回していた班は、茹であがったニラを一本一本揃えるのに苦労していた。説明を聞いてから茹でた組は、揃える手間が省けて、三、四センチの長さに切るのが楽だったというわけである。

 水の量や煮炊きの時間は数字的なもので案外間違いにくいが、手順、コツといった経験学的なものは実際にやってみて失敗しないと覚えない。順調にこなしたことは忘れても、この失敗した手順はこれから先何時までも忘れないで役立ちそうである。

 出来上がった料理を自画自賛して食べる顔には満足感が漂っている。
「第一回目の感想は如何ですか」
 講師の問いかけに、
「面白かった、楽しかった」
みんなはそう言ったが、もしこれから生きている間作る運命になったら大変なことだという思いがよぎった。

 会場は、最初の挨拶を緊張して聞いた雰囲気とは変わり、和やかな食事風景になっていた。
 「次回は魚のさばき方です。鯵を一人一匹ずつさばいてもらいます。片面を刺身、残りを煮つけか塩焼きの自分の好きなものを作ります」
 一同、次回もやるぞ!といった顔つきで講師の話を聞いていたが、果たして次回はどんな珍プレイが出ることやら・・・・。楽しみである。 
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