音を出す魚

                                   平成12年5月24日

 もう一度この目で見てみたい、本当の名前を知りたい。こんな思いで五十有余年が過ぎた。歳月の流れとともにこの思いは募り、また一方では諦めの気持ちも芽生え始めていた。

そんな折、テレビで『日本川紀行』の番組予告を偶然目にした。佐賀市内を流れる田布施川に珍しい魚が生息している。その様子を紹介しようというものだった。

モニター画面には投網を打って小魚を捕まえ、珍しい魚を探す画面が写っている。フナ、ハヤなどに混じって金色に輝いた魚がもがく姿があった。

「あぁ!」一瞬息が止まった。これぞ私が長い間、思い続けていた魚である。モニターは触りだけを写して終わった。

夏になると小学生たちは、田んぼの水路で魚を捕ったり、川で泳いだり楽しい一日を過ごした。田植えが終わり、稲が穂を出すまでの間、子供たちにとっては田んぼを潤す用水路は楽しい遊び場になる。半年近く枯れていた水路に水が流れ、植え付けられた早苗は、日に日に緑を増して青田に変る。そのころ、どこに潜んでいたのか魚たちが戻ってくる。待ちかねていた子供たちはバケツとタブを持って魚捕りに出かけて行く。

幅四、五十センチ、水深三十センチ足らずの水路は子供たちには格好の魚捕りの場所である。いつも私は弟と二人で出かけた。弟は川下でタブを構え、私は川上から足と手で水をかき混ぜ魚を追い込んでいく。野面石の穴に手を突っ込み、また水草の陰には足をさしいれ魚を追い出した。五、六メートル川下で待つ弟は、私がたどり着くと素早くタブをあげた。

フナ、どんこ、ハヤ、鯰、ドジョウと捕れる魚の種類は多かった。たまには小さな緋鯉が混じっていることもあった。また運がよい日は鯰に似た金色の魚がタブの中でもがいているときもあった。

村の子供たちは、この魚を『ギギョ』と呼んでいた。私も子供のころは本当の名前だと思い込んでいた。大人になってから辞書を引いたが『ギギョ』という言葉そのものが見つからなかった。

『ギギョ』という呼び方は本当の名前ではないらしいと思うようになった。図書館まで足を運んで魚類図鑑を調べれば分ることだったが、つい仕事に追われ今日までそのままにしていた。

『日本川紀行』は、日曜日の朝六時十五分から始まる。この機会を見逃してはならないと、いつもは使っていない目覚まし時計をセットして床に就いた。

佐賀市内でお菓子屋さんを営むご主人は、身近な川に住んでいる魚を捕らえてきて、子供たちに興味をもってもらおうと水槽で飼い、店先に置いている。

夜、投網を持ってご主人は学校にあがる前のお孫さんと魚捕りに出かける。水槽に飼っている魚と同じ種類のものは網に掛かっても逃がしてやった。何回目かの投網の中に、私が探し続けていた魚の姿が写った。

この魚は九州地方だけに生息しているナマズ目で、生息数が少ない貴重な魚である、と魚を手のひらに載せご主人は説明された。テレビの画面には「アリアケギバチ」と字幕が出ている。やはり『ギギョ』という呼び方は本当の学名でなかったのである。

体長は二十センチばかりの小物で、口ひげが四対ありナマズそっくりである。色は緑をおびた金色で、脳裏に焼き付いていた色とまったく同じであった。

ご主人は説明した後、この『アリアケギバチ』は川に放った。

番組が終わって大辞林を調べた。有明地方に生息しているところから『アリアケ』の冠がつけられているらしく『アリアケギバチ』では探せなかったが『ギバチ』の欄に載っていた。

辞書には、容姿などを説明した後に「胸びれと付け根の骨をこすりあわせてギーギーと音を出す。背びれと胸びれのトゲに刺されると痛む」と書いてある。

ここを読んだとき、鷲掴みにしたギバチに刺され、手を開いた瞬間逃げられた悔しさと手の痺れの痛さを思い出した。また捕まった魚はギーギー音を出していたが、子供心に捕まって泣いているのだろうと思ったことなど、すっかり忘れていたシーンが蘇ってきた。

盆正月、お墓参りに里帰りしても田んぼには住宅が建ち並び、あのころの田園風景はもう見ることはできない。『ギギョ』が生息できる環境はないのだ。

せめて田布施の川で生き延びてもらいたい、と願った朝のひとときであった。  
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