誕生日     H14・4・15

童話『桃太郎』のお話は「あるところに、じいさんとばあさんがいました。じいさんは山にしばかりに、ばあさんは川へ洗濯に・・・・・」で始まる。

そこに書かれた挿画は二人ともいかにも年老いた姿であったのを覚えている。年齢にして60か70歳の姿ではなかっただろうか。

私は明日4月16日で68歳になる。『桃太郎』に出てくるじいさんと同じ歳ごろになったわけだ。

今年小学1年になった子供たちが私を見てあの挿画と同じように老いぼれ老人と受け取っているかもしれない。しかし、当の本人は、いたって若いつもりで、あのじいさんばあさんと同列に受け取っているとすれば大いに不満である。

ここまで歳を重ねると、ハッピーバスデーで祝ってもらおうとも思わないが一年があまりにも早く過ぎ去っていく感じで恐ろしい。男性の平均寿命を80歳とすれば、あと残りは12年しかない。過ぎ去った12年を振り返って見ればあまりにも短く、2、3年前のことのように感じる。

これからの12年も同じようにあっという間に過ぎ去っていくに違いない。と思うと、ここで時間を止めていつまでも68歳でありたいと非現実的なことを考えてしまうから勝手なものだ。生に対する執着はこれからますます強まっていくだろう。

老化現象の現れで、夜中に目が覚め眠れない時が多くなったが私は一向に苦にはならない。今日、明日やることの段取りを考えたりしていると結構楽しいもので、また良いアイデアが浮かんでくるのもこの時間帯である。

眠れないで困ると嘆く同輩もいるようだがその点私は苦にならないから幸せ者である。しかし、予定がなくのんびりしている日の昼食後は睡魔が襲って1時間ぐらい眠ってしまう。時には夕方まで寝過ごすときもある。

93歳になる母親は健在である。だから子供の私が老け込んで床に臥したり、親より先にあの世に逝くわけにはいかない。母が天寿を全うするまでは、何としても元気な姿を見せておかなければならない、と思って摂生しているつもりである。それが健康の源だとすれば母はありがたい存在である。

今度の誕生日は、昼間も夜も町内会の仕事で予定が詰まっている。ささやかな晩酌も出来ないのかと思うと少し不満ではあるが元気で働けることを感謝したい。

登山、ホームぺージの更新、町内会の業務と、やることが次々と追っかけてきて立止まって振り返る暇のないこのごろである。暇を持て余し悩むより、忙しくて悩むほうがまだましだ。忙しさが身体や頭の老化を先延ばしにしてくれるとしたら現状に感謝しなければならない。

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