引っ越し   

春は何かと心落ち着かない季節である。

サクラの花の開き具合が気になり、咲けば咲いたでこの時期必ずやって来る花嵐が心配になる。また勤め人にとっては人事異動があり、転勤を余儀なくされる者もでてくる時期である。

今年4月はじめ、近所に引越し荷を積み込んでいる運送会社のトラックを見かけた。

現役の時には転勤族だったから、こんな風景に出会うと他人事として見過ごすわけにはいかない。何回となく引越して苦労した経験から、大変だなぁとまず同情してしまう。

道路建設の仕事に携わっていた関係で他の職場と違って転勤が多かった。新設の道路が完成すると次の現場に移る。これが宿命でもあったが、完成前でも組織の都合で転勤命令は思いがけない時期にやってきた。

独身時代には布団袋を国鉄(現JR)の窓口に担ぎ込み、あとは身体一つの気楽な旅行気分を味わったころもあった。たぶん荷物の送り賃と汽車賃が組み合わせになった「チッキ」とかいう切符があったことを思い出す。

所帯を持って子供ができると一年毎に所帯道具は増えていった。新婚家具は毛布に包み木枠をあてがい梱包した。今みたいな引越し専用のボックス車はなく、荷台のドアーが三方に開くトラックに積み重ね、荷崩れしないように四方八方からロープを掛け、思い切り締め付けるから丈夫な枠でないと箪笥はつぶれてしまうのである。

また陶器類は木で作ったリンゴ箱に詰めた。その木製のリンゴ箱は今ではダンボールの箱にとって代わり見かけなくなった。箱の中のモミガラもなつかいし思い出である。

長男が4歳になった年、福岡市から大分県の山の中に転勤なった。引越し荷を先に送り込んだあと、その夜は福岡市内の旅館で一泊し、翌朝汽車で早立ちすることにした。

夕方、旅館に入ろうとすると子供は玄関を跨ごうとしない。自分の家に帰ると言い張って泣き出した。旅館の女将さんまで出てきて宥めてくれたが頑固に後すざりした。とうとう子供心に観念したのか泣き疲れたのか一時間後に部屋に入ることができた。あのとき子供に不憫な思いをさせたことは今でも忘れられないでいる。

また長男が小学一年に入学する春にはこんなこともあった。
 その年の3月中旬、大分から鹿児島へ転勤の内示があった。辞令は4月1日付けである。家財道具の整理は終わり準備環万端。しかし、その年は国会の予算が年度内に成立せず暫定予算が組まれた。暫定予算では赴任旅費がなく本予算成立まで転勤はお預けになった。

子供の入学手続きは赴任先の鹿児島ですることにしていた。ところが本予算の通過見通しは5月の初旬だという。慌てて地元の小学校に入学させてもらった。5月連休明けに転勤辞令がでた。子供にはわずか1ヶ月足らずで転校という精神的な負担を負わせてしまった。

子供は中学生になると転勤を嫌がるようになった。というよりこれまで親に対して言えなかった意志をやっと云えるような年齢になったと解釈するのが妥当であろうか。

これまで引っ越しのたびに友達を無くし、さびしい思いを堪えていたことを思うとこれ以上の親の勝手は許されないと思った。

それからはお決まりの単身赴任にした。振り返って見れば独身時代から数えて10回の転勤をしている。

中学生になったころ、子供いわく、
「お父さんのような転勤の多い仕事はしたくない」
子供はその思いを貫き、転勤のない職場を選んだ。

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