老いサクラ         H14・4・2

ダインニングルームの窓越しにサクラを眺めながら朝食を摂るこのごろである。ことしは花が咲いている期間が長いといわれている。それは開花しはじめたころに寒の戻りがやって来たのが原因らしい。観る側にとってはありがたいことだ。

咲き始めたのは3月の中旬だが、もうだいぶ前のような気がする。少なくとも開きはじめてから10日は過ぎているだろう。

毎朝、今朝は3部咲きだ、5部咲きだ、満開だ、と家内と語りながら梅干を頬張り、熱いお茶をすする気分は何とも言い難い。

我が家の前を通っている道は、道幅は狭いがアスファルト舗装された市道で昔は長崎街道であった。その昔、原野を人の背丈ぐらい掘り下げて作られた街道のなごりが鎮西学院高校の土手としていまも100メートルほど残っている。

史談会の古老の話によれば、掘り下げられているのは江戸時代の生活の知恵で、多良岳颪の北風を遮るためだったということである。その土手が窓越しに北の方向に伸びているのが眺められる。

土手のある市道を境に、左側は高校の敷地、右はS宗教団体の駐車場兼植え込みになっている。

道を挟んで両側にサクラが咲いている。高校の敷地には老木が朽ちかけてはいるが生き長らえて今年もわずかばかりの花を咲かせてくれた。このサクラの幹は直径50センチはある大木だが、腐れ罹って穴があいたところがあり枝も枯れ落ちみすぼらしい姿をしていた。が、ここ二、三年のうちにツタ蔓が巻きついて痛ましい姿は見えなくなった。

片や右側のサクラは、15年前ほどに植えられた若木でいまや青春時代といった感じである。年毎に枝を広げ、満開時期には入道雲のように盛り上がった花姿は、美しさの陰にむんむんとした熱気を発散し、眺める私を圧倒させる。

栄枯衰勢は世の常と言ってしまえばそれまでである。しかし、老木のわずかばかり残った枝に咲いた花姿を眺めていると、ついわが身と比べてしまうのである。この老いサクラは,終戦後まもなくして旧制中学が長崎市からこの地に移転して来たと聞いているから、そのとき植えられたものであれば60年近くなる。おおよそ私と同じ歳月を生き延びている。

俺も頑張るからお前も頑張れよ、とエールを送りたい。余生を振り絞ってこれからも咲きつづけて欲しいものだ。

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