歯知らず       

H13・8・21

「抜歯しましょう」
「????? そこまでしなくても別の治療法はないの」と心のなかで思う。
医者と患者の間には、いま盛んに言われているインホームド・コンセントなるものがあることは充分承知している。
ところがその立場に置かされると自分の意志を率直に口に出せないのが患者の悲しいところである。

いま決断しなくて先に延ばす方法はないか。日数を置いて親戚知人に尋ねたあとで抜く抜かないは判断すればよい。今この場での返事はどうしても避けたかった。拒否ではなく、とりあえず先に延ばす口実はないものか。

タイミングが良かった。玄関にお盆期間中の休診のお知らせが貼ってあったのを思い出した。今日午後から8月16日までは休診になっている。

「歯を抜くのは初めての経験で心配です。抜いた後、もし体調が悪くなれば三日間の休診中どうすればよいのかなおさら心配でたまりません。お盆明けにしてくれませんか」

口にこそ出さないが32本すべていまだに自前の歯であること、スルメなど硬いもは何でも噛める丈夫な歯であること、これだけは私の自慢できるものだ。

ここで抜かれては「おれの歯は全部自前だぞ」というプライドが消えてしまう。またこれまでがっちりとスクラムを組んでいた歯が一本なくなればタガが緩んでこれをきっかけに総崩れになりはしないか。抜かれる心理的な苦痛よりもこの二つが大きく頭のなかを駆け巡った。

「そうですね。お盆明けにしましょう。痛み止めの薬をあげておきますから痛いときには飲んでください。」

今回の歯医者通いは二ヶ月前からである。冷たいものを飲むと針で刺されたような痛みが奥歯に走った。私の容態を聞いた医者は7年前のカルテを見ながら「前の症状と同じですね」と言った。

私は7年前、歯医者に行った記憶はあるが歯の痛みの内容までは憶えていなかった。
 医療用語では「象牙質神経過敏症」というものだそうで、5、6回の通院で自然に治るから今度もそのうちに治まるでしょうと軽い診断であった。

しかし、予定の5回がきても症状は軽くならなかった。それどころか冷水を含んだときの激痛のほかに、ものを噛んだとき鈍痛が走り、痛みで夜眠られない状態になった。

翌朝、予約なしで飛び込み、再診察の結果「親知らずにひびが入って二つに割れているようです。これが神経を刺激しているのでしょう」

「親知らずは要らない歯ですから治療するより抜いたほうがいいですよ。抜歯しましょう」となったのである。

役立たない歯なんてあるの?私はきょとんとしていた。
盲腸は役立たないものだと聞いていたが、奥歯の親知らずも同じだとは知らなかった。私は親から貰ったものは大事にして、いまだに盲腸も腹に収めている。親知らず4本もそんなことだとは知らずに大事にしてきた。丈夫でいつまでも残っていることは自慢できることだと思い込んでいた。

それが親戚にことの経緯を話したら、「そんなものまだ持っていたの」と呆れられ「さっさと抜いてしまいなさいよ」と逆に発破かけられる始末だった。

「歯を抜きたがる医者のところには行くな」これが歯医者の選別をする目安になっている。「抜歯しましょう」この言葉を聞いたとき医者を替わろうかと思った。が、帰ってからインターネットで検索したり、親戚の話しを聞いたりしているうちに「親知らず不要論」は常識になっているようであった。

かかりつけの歯医者は「ヤブ」ではなさそうである。「親知らず」ならぬ「歯知らず」の方はこの私であった。

金属の皿に載せてある歯には、わずかな桃色の肉片と赤い血が付いてまだ生々しい。実際はまだ麻酔が効いているのに精神的な痛みを感じた。
この歯はこともなげに捨てられるでだろう、そう思うと何となく愛着が湧き捨てるに忍びない気がしたが「貰って帰りたい」ときり出せないまま治療室をあとにした。

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