お神酒で乾杯  ・・・雨の傾山(カタムキヤマ)山行・・・       

13・4・29 雨  

 

今から34年前、私たち親子四人は大分県大野町に住んでいた。私が33歳のころである。ここは熊本県と大分県の県境近くで九州山脈の裾野にあたる。大野町から祖母・傾国定公園内にある傾山(1602m)の登山口(九折)までは車なら一時間足らずで行ける。

登山愛好者は、簡単に日帰りできる好条件の場所に住んでいたと思われるだろうが、当時私は登山にはまったく興味がなかった。今になってみると、まったくもったいない時を過ごしたもんだ、と悔やんでいる。

というのは、今度のGWを利用して祖母山と傾山に登ることにしたが、前の日から出かけて行ってテント泊りをしたからである。

429日傾山(1602m)30日祖母山(1757m)をめざして、28日に諫早を出発した。

島原半島の多比良港から熊本県・長洲港にフェリーで渡り、菊池渓谷、阿蘇スカイライン、ミルクロード、やまなみハイウエイと阿蘇の大平原の中を走った。しかし天気は下り坂で、時々霧雨が降り視界はあまりよくなかった。

夕方4時までにキャンプ地の九折(つづら)登山口に着けばよいが、国道57号の混雑を避け、別ルートを走ったのが結果的には功を奏して、予定よりも一時間早く着きそうであった。途中、「荒城の月」で有名な岡城址に寄道することにした。「荒城の月」の曲を聞きながら石段を登り、展望台から見えるはずの祖母山、傾山を探したが雲に覆われ見えなかった。

キャンプ地の九折登山口には予定の4時に着いた。テントを張り、夕食の準備が出来上がったのは6時。準備している間降っていた雨は止んだ。陽が沈むのがだいぶ長くなってまだ明るい。カンテラは点灯しなくてテントの外で食事した。明日4時起床、6時出発のために8時半には寝袋に潜り込んだ。

聞こえてくるのは瀬を流れる水の音と、ひときは高く鳴くカジカ蛙の澄み切った鳴き声。何時のまにか眠りの世界に誘われてしまった。夜中、用足しにテントの外へ出た。水の音とカジカ蛙の鳴き声は続いていた。空模様は曇ってはいるが雨は降っていない。この分だと天気は持ち直すのではないかと期待して、またテントに戻った。

予定とおり4時に起きたが、出発は25分遅れの625分になった。空は依然として曇ってはいるが何となく明るい感じがして、このぶんでは、雨具は着けなくてもよさそうである。雨具はリュックに仕舞い込んだ。

鈴、亜鉛を掘っていたという旧鉱山の排水浄化槽のある所が出発点である。鉱山に使われていたトロッコ用の軌道跡を5分ばかり登ると、右側に「傾山」の道標がある。ここでトロッコ道と別れ、細い山道に入る。

原生林の中を何回もアップダウンを繰り返しながら50分ばかり登ったところで、左下に「芥神滝」が見えた。滝は下から見上げることが多いが、この滝は50メートルぐらい下の谷底にある。芽吹き始めたブナ類の樹林の間に白く跳ね返っている。萌黄色の新芽と滝の白さの美しいコントラストに、つい足を止めてしまった。

ここまで登って来るまでに、立ち枯れした椎の木の大木に椎茸がいくつも生えているのを見かけたり、直径50センチはありそうな藤蔓が地面を這い、くねりながら樹木に巻きつき天に昇っているような光景に出会った。その姿は大蛇を連想させ、異様さのなかに圧倒される思いがした。それが一本だけではなく3本もあったからであろうか。

カンカケ谷で竹田高校の生徒17人のパーティーに会った。昨日「つづら越小屋」に泊まって下山しているのだと言った。若者は、はつらつとして元気だ。話しているうちに元気をこちらに貰ったような気分になった。

この谷からは急な登り坂になり、一気に高度をかせぐ。鉄梯子があるこの地点は785mの標識があり、登山口の標高が400mだったから、高度を400m稼いだことになる。

しかし、標高1600mの山頂まではあと800m登らなければならない。時計を見ると8時である。出発してい時間半が過ぎていた。山頂まで時間にしてあと3時間半である。かなり体力を消耗したがまだ三分の一の地点にいるのだ。先が長い。

標高800mの地点で三つ葉ツツジとあけぼのツツジに出会うことができた。群生しているとまではいえないが点々と岩肌の崖から幹を長く伸ばして垂れている。薄い紫の色とでも表現した方が適切かもしれない、透きとおるような冴えた色は見事である。疲れも忘れ見惚れた。

標高1000mの標識のところでとうとう雨が降りだし、雨具とザックカバーを取り出して雨対策をした。その時、時計は850分であった。

現在は車道として使用できない林道に辿り着いた。ところが小型の四輪駆動車が2台停まっていた。後でわかったことだが、きょうは傾山の山開きで、地元緒方町役場の関係者の車だった。再び林道の法面にかかっている鉄梯子を登り、また急坂の道をツヅラ折れに曲がって高度を稼ぐ。ここらあたりから自然林はまばらになりスズタケの山に変わっていった。

九折越は丘状をなす草原でヘリポートの標識が建っている。かなりの広さであるが回りはスズタケと樹木に囲まれ遠望は利かない。ここに着いたとき時計は940分を指していた。出発時間が遅れたぶん遅いが、コースタイムとしては予定どうりに登ってきている。

九折越から傾山山頂までは1時間40分の予定であったが、1時間50分かかってしまった。初めのうちは原生林とスズタケの混じった、ゆるやかな尾根道で疲れは感じなかったが最後の二つのピーク越えは岩壁をよじ登り、木の根や幹に掴まりながらの急坂でへたばってしまった。空腹の身体では追い込みが効かなかったようだ。

私たちを追い越して登った人たちの話では、今日が傾山の山開きだということである。山開きの儀式は11時からはじまったそうだが、私たちが辿り着いた1130分には、神事は終わり、今日参加した最高齢者と最年少者の紹介がされているところだった。最高齢者は76歳、最年少は2歳と発表された。2歳の子供は、たぶん山頂手前で私たちを追い越して行った父子ではないだろうか。小さなその男の子は父親に背負われていた。

乾杯用の紙コップとお神酒が回ってきた。強い風で横殴りの雨に打たれながら一斉に「カンパーイ」と声を張り上げお神酒を飲み干した。そして記念のバンダナを貰った。

雨は小止みになる兆しはなく、10分も経つと身体が冷えてきて凍えそうになった。少し下りて岩陰で風を遮り昼飯にした。座る場所もなく立ったまま、おにぎりを食べた。温かいコーヒーを沸かして飲むつもりで、ザックに詰め込んでいたガスとコンロ、コッヘルは使える状態ではなかった。冷え切ったお茶を飲んで食べ物を胃袋に収め、足早に降りた。

降りながら山頂の様子を思い出してみた。頂上には100人は登っていたであろう。身動きができないほどの混雑だったから。周りはガスで視界はゼロであった。特に時期遅れに咲いていたマンサクの花が冷風にさらされ震えている情景は痛々しかった。

これだけしか思い出せなかった。それでも思いがけなく山開きに参加し、お神酒で乾杯もでき、記念にバンダナを貰うなど、良い思い出として何時までも残るであろう。

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