06七高山めぐり(1)

期日  2006・1・8

行程
JR諫早駅7:30〜8:05JR長崎駅8:20〜8:45諏訪神社9:05〜10:20金比羅山10:30〜11:30仏舎利塔11:40〜12:30烽火山13:20〜13:50秋葉大権現〜14:10妙相寺〜14:35蛍茶屋電停〜15:05長崎駅15:17〜15:42JR諫早駅

長崎駅前から100円のチンチン電車に乗って諏訪神社前電停で下車する予定であった。今年の「登り初め」という意識があるのか、今日の参加者は意気込みが違う。

JR長崎駅に下りると、駅前から諏訪神社まで歩こうと言い出した。徒歩約20分の距離である。

「おくんち」では桟敷席に早変わりする長坂の石段を上りつめて、電車賃のつもりでポケットに入れていた100円硬貨を取り出し、賽銭箱に投げ入れ、今年の家内安全と今日の登山の無事を祈願した。

正月二日から十五日ごろまでの間に、長崎やその近傍の人たちは「七高山めぐり」に出かける。江戸時代から行われている正月登山で、家族や、親族あるいはグループで登る人たちで賑わうという。

 七高山とは、諏訪神社から金比羅山〜烽火山〜秋葉大権現〜妙相寺〜豊前坊〜彦山〜愛宕山〜風頭山〜若宮稲荷神社の市街地を取り巻くように散在した海抜400m前後の里山である。

 このコースを健脚な人は7時間から8時間で回る。しかし、わがハイキングクラブは年々高齢化して無理はしない。二日間に分けて登ることにした。そのためか参加希望者が20名にもなった。

 第一回(1月8日)は諏訪神社から妙相寺まで約5時間の行程である。次回は1月15日の予定にしている。



諏訪神社
まづは初詣と今日の安全を願って手を合わせる。
正月3ヶ日で20万の参詣者があるという諏訪神社の今朝は、われわれ20名のほかに七高山めぐりのハイカーで40〜50名の人出である。
神社横の広場でストレッチ体操をして境内を通り抜け、立山公園に通じる坂道に出た。普段の日は高校の生徒たちが通るにぎやかな通りだが休みでひっそりとしている。道の中央に大きなくすのきがでーんと並んでいる。
くすのきが先住者。人や車は遠慮しながら通らせてもらっているという感じだ。
環境を大切にするこんな道があってもいい。
長崎は坂の街。第一のピーク金比羅山までの約1時間半、登り坂はつづく。

市道の大楠

わが国初の経緯度原点確定の地
金比羅山に登る途中に金星観測地点があった。そこには三角錐の碑があり、案内板には、
「1874年(明治7年)12月9日、近世が太陽の前面を通過するという珍しい現象が105年ぶりに起こった。この現象を利用して地球と太陽の正確な距離を求めるべく、欧米諸国は挙って、東アジア、大洋州各地に観測隊を送った。
観測の適地となった長崎では、金比羅山でフランス隊のジャンセン一行が、また星取山でアメリカ隊のダビットソン一行が観測に当たった。
ダビットソンは、金星観測のほか天文観測により長崎と東京との経緯度差の観測も行い、日本最初の経緯度原点(オットマン点)値を決定した」(現地案内板より転記)
と書いてある。長崎は貿易だけでなく天体観測などの面でも重要な役割を果たしたのだと知識を新たにした。
金星観測点の林を通り抜けると視界が開け、草原の向こうに金比羅山が見える。今日の天気は曇、風が無いのが幸いである。寒さもほどほどで山登りにはちょうどよい気温である。
画像に写っているグループはわれわれとは別であるが年齢的には同じような構成であった。何処に行っても若い人の姿は少ない。

めざす金比羅山

金比羅山(366.3m)の祠
山頂の説明版によると、
「この山は崇嶽と称され無凡山とも呼ばれます。寛永2年(1705年)修験者である禅院長慶が讃州像頭山より金比羅山大権現を勧請し、この山の頂上に石窟をほり石祠を建て飯縄、愛宕の二神を祭ったといわれます。それからこの山を金比羅山と呼ぶようになりました」
登山者のためにこんな案内板があると歴史を感じ納得して古道を歩いているような気分になる。
曇空ですっきりしないが遠景の「女神大橋」が目立っている。シーボルトやオタキさん、遠山の金さんがここに登ってこの景色の変わりようをみて、何と一声を発するか聞いてみたいと思った。
長崎の港

孟宗竹の橋
金比羅山から西山高部水源地まで高度を下げて、再び烽火山に登り始める。そのころ11時を過ぎていた。空腹を感じ登る元気が無くなった。途中、仏舎利塔で休憩、行動食を食べてエネルギーの補給をする。
今日の行動食は2年前からザックに入れている「乾パン」。保存食として長持ちし、携行しやすいので非常食として持ち歩いている。とうとう賞味期間が過ぎたので食べることにした。賞味期間が来るまで長持ちしたということは安全登山であった証である。贅沢な味ではないが戦時中の乾パンより格段に美味しい。
腹拵えを終わって11時30分烽火山へ向かって出発。山頂まで1時間の行程である。
歩き始めて孟宗竹の林の中が続いた。崖の崩れたところに竹の橋があった。強度的には安心だが雨降りには滑り怖そうだと思って渡った。
烽火山には予想どうり、仏舎利塔を出発してから1時間でついた。時間は12時半。山頂は原っぱで、いつの間に晴れていたのか冬の陽がまぶしく注いでいた。
かま跡がきれいな姿で保存してあると思ったら、昔そのままの状態ではなく修復されているという。
この烽火かまは、異国船発見、外国とのトラブルのたびに活躍したであろう。
同行のJalanさんは私に疑問をぶっつける。「奉行所からここまでの連絡はどうしたのだろうか?」言われてみれば奉行所は今日のスタート地点になる諏訪神社の横にあった。直登してもかなりの急坂、昔の人は健脚であったろうがそれにしても30分はかかったろうと想像する。
早足で登ったのだろうか?それとも反射鏡で合図をしたのだろうか?
歴史を持つ山は想像するだけで楽しい。

烽火かま跡
日当たりのよい広場は昼飯を食べる人たちで溢れていた。大まかに数えたら50人はいたようである。
先に食べていた人たちを追い立てるようにして代わってもらった。
この時期山頂での昼食は体が冷えるので短時間で終わり出発することが多い。今日は違った。
烽火の釜が北風を遮り、南向きの草っぱらはぽかぽか陽気になった。この暖かさを「小春日和」と言いたいところだが、もう新年に代わったのでこの表現は使えないようだ。のんびりと1時間近くの昼食タイムになった。
烽火山から秋葉大権現までは急な坂道を下る。
再び自然林の中を歩き北東面に差し掛かると風が冷たい。下りは動いていても、なかなか温まらない。
下山を始めて30分で秋葉大権現に着いた。
ここで一息入れる。

秋葉大権現

妙相寺の山門
きょうのゴールはここ妙相寺。終わってみればまだ余裕がある。若宮神社まで一日で踏破できそうな余力はあるが来週を楽しみに蛍茶屋電停へ向かう。
本河内水源池は高部ダムも底部ダムも国道の高架橋が上を跨ぎ圧迫された感じでノンビリと歩く気がしない。
長崎在住の今日参加できなかった女性会員から「饅頭を買って蛍茶屋橋で待っている」と携帯電話が入り、元気を出して歩いた。
今年の登り初めは、無理なく余裕ある計画でシニアにふさわしいコースであった。
これで正月の贅肉も少しは落ちたようである。

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