平戸島・生月(いきつき)島の山へ

旅行日 2004・3・14

行 程

西諫早発      6:20
平 戸       9:00
生月大橋      9:20
番岳登山口    10:05
番岳山頂     10:20
島の博物館    11:00
安満岳登山口   13:20
安満岳山頂    13:40
田平混虫自然園  15:00
西諫早着      20:05

 今回は、生月島で一番高い番岳(286m)と、これもまた平戸島で一番高い安満岳(535m)へのハイキングであったが、行程の半分以上は生月町博物館「島の館」で島の歴史の勉強をしたり、また田平町では昆虫自然館に立ちより、かって子供のころ遊んだ里山の原風景を思い出すなどして、見聞を広める一日であった。

 1977年に九州本土と平戸島は橋で結ばれ、いまは離島という感じはしない。真っ赤なトラス吊橋の平戸大橋は青い海を跨ぎ平戸のシンボル的存在になっている。

 平戸は歴史とロマンの島として広く知られたところで観光に事欠かないが、今日はここを通過、生月島へとバスは走った。

 ここ生月島も平成の年号になってから離島僻地の悪条件を一気に解消した。

 平成3年、平戸島と生月島を結ぶ生月大橋が開通して島民はもちろん観光客にとっても大変便利になった。

 通行料金600円を払い生月島へ渡るとそこは道の駅『生月の大橋』である。

道の駅で休憩、渡ってきたばかりの大橋を下から眺める。

道の駅『生月の大橋』より平戸島を望む。

対岸の高い山は安満岳。生月大橋は平戸大橋の朱塗りと違って、ブルーの優しさがあるが鉄骨で組み上げたトラスの構造は頑丈で重圧感がある。
3径間連続トラス型としては世界一の長さで全長960mだそうである。

再び車は、道の駅から島一番の集落地館浦漁港を通り番岳の登山口である海洋センターへ登る。海洋センターは海岸の低地にあるのかと思っていたら何と高い所にあり標高で200mほど車で登ってしまった。286mの番岳には80mで山頂に着く楽なハイキングだ。

番岳の登山口は牛の放牧場で糞がいたるところにあった。
登山道路は丸太の階段が山頂まで整備されたいた。


番岳へ登る途中、北の方向を望む。
島の最北端に建っている『大バエ灯台』は霞んだ中にかすかに見えた。残念ながら写真には写っていない。
右の三角形の山は『一番岳』。『番岳』も『一番岳』山頂から鯨の見張り番をしていたことから名付けられた名前だという。
ここからは溜池が二つ見えたが南側にも三個のため池があり、島民の大切な水源のようだ。

山頂には金毘羅さんが祀っててあり、地元の方らしい中年の夫婦が灯明を付け、お米やいりこを供えお参りされていた。

写真手前は館浦・生月漁港辺り。
海を隔てた山は安満岳で右方向に水平に伸びた先端が「鯛の鼻」、その下の海峡に生月大橋の橋脚がわずかに確認できる。

館浦漁港まで戻って生月町博物館『島の館』へ。
ここは捕鯨や隠れキリシタンといった生月の歴史を紹介する博物館である。

島の館玄関前のモニュメント
小さく写っている人物と比較すると鯨の大きさが分かる。
鯨の潮吹きが出来る仕掛けになっていたが今日はやっていなかった。

海の向こうは平戸島

 展示室の空中には、ミンククジラの骨格標本が2頭吊るしてあり大きさに見惚れたが、これは10mしかなくクジラとしては小型そうである。また江戸時代の捕鯨の様子を再現した大型ジオラマなどは見応えがあった。見応えがあるといえば、雌雄の生殖器も見事であった。

 江戸時代最大の鯨組・益富組は、生月島で始めた突取捕鯨から、網取捕鯨と漁法を変え、壱岐をはじめ西海各地の漁場に進出し、1818年ごろには日本一の規模を誇る鯨組に成長したそうである。明治6年までの142年間に捕獲した鯨は2万頭を超すといわれている。

 二階の一角にある戦国時代に盛んだったキリシタン信仰の祈り「オラショ」の流れる薄暗い納戸の様子は重苦しい雰囲気であった。

残念ながら、館内は撮影禁止。建物は展示物ではないから良かろうと勝手な解釈で、あまりの美しさに壁のステンドグラスを撮った。

450年間、きびしい弾圧にも耐え抜き受け継がれた信仰の「オラショ」は現在も受け継がれているという。

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