平治岳を15時25分下山開始。
今夜の宿、法華院温泉山荘に着いたのは17時20分であった。
夕食は18時から、カラスの行水ができない者は食事の後に入浴とのおふれが回り、わたしは食後にゆっくりはいることにした。
定刻に集まり、無事に一日終わったことに感謝し、明日の天気の回復を願ってビールで乾杯。一口の美味しいことこのうえなし。
大皿の分厚いステーキのように見えるのはカレーのルー。今夜の料理はカレーということだ。
おかずはビールの肴に消えてしまった。
ご飯はお代わり可。しかしこれだけのルーではおかず不足。23名もいる集団の中にはカレーが嫌いな者もいる。物乞いをして歩きルーを確保してご飯のお代わりをした。
部屋割りは4人部屋の個室があてがわれた。仕切りの戸を外し2部屋を一つにして広場を作り宴会が始まる。
私は宴会を抜け、風呂に行った。
先客は2人いた。
そのうちに私一人になった。雨の音と沢の水の音が一緒になって聞こえてくる。騒がしくもあり、静かでもあるひと時である。浴槽に浸かって身体をほぐす。
ヒノキ造りの浴槽。泉質は単純硫黄泉。
 数年前まで、温泉は白く濁っていたが、1995年の硫黄山の噴火で、泉源に変化が起こったらしく、ほぼ透明になったとのこと。
のんびりと湯船の縁で腰を伸ばしているのは誰でしょう?盗み撮りではありません。(本人の了解を取って写したものです)

翌31日
昨夜降っていた雨は、夜が明けるころには嘘のように晴れていた。
小屋を出て外に出た。
青い空が広がっている。絶好のの登山日和である。

朝陽に映える三俣山。建物は温泉山小屋。

朝陽が差し込む坊がずる。
左の山は昨日登った平治岳。右は北大船山。きょうは北大船山を通り大船山に登る。
朝4時に起きて平治岳で日の出を拝み、そのあと大船山へ縦走する予定はきのうの雲行きで取り止めになった。
朝食は7時からに変更されたいた。

5時半に起きて、7時の朝食までの時間の長いこと。
普段家での朝飯は、これだけの品数はない。大勢で食べるからか食欲が湧く。ご飯のお代わりをした。

大船山、雨が池、長者原コースと白口岳、稲星山、久住山、牧の戸コースに分かれ、朝陽が降り注ぐ法華院温泉を出発したのは午前8時であった。
大船山コースは19名。3パーティーに分かれた。坊がづる避難小屋で最小限の荷物に詰め替え、不要のものは小屋に置く事にした

7合目付近から眺めた大船山。
平治岳と並び、ミヤマキリシマの大群落があることで有名な山である。
いまススキの穂が出始めたばかりであった。

ここまで来るまでは、樹林帯の中をひたすら登る。途中草花があるではなし、時々展望の利く場所で昨夜の宿泊所の赤い屋根が下に見え小さくなっていくのを見て、高度を稼いだことを確かめた。

前方は段原。右の窪みは米窪と呼ばれる直径500mもある火口跡。くじゅうで最も新しい火口跡だといわれている。

大船山山頂より写す。
大船山山頂の標識。
風雨にさらされ文字がはっきりしない。
標高1787m
久住近傍は晴れているが、遠く祖母・傾や由布岳は雲がかかっている
写真は由布岳方向。

長者原の約束時間までに戻るには、ゆっくりもできない。集合写真を撮って下山する。段原に戻ったとき、一面にガスがかかり雨が振り出した。そのときまだ11時であった。行動食を食べ坊がづるへ急いだ。

避難小屋に置いていた荷物が荒らされている。泥棒ではないかと一時疑ったが荒らされた様子から食べものあさりを目的としたタヌキか、カラスの仕業とわかった。

とくに昼食時間は設けない、各自休暇時に行動食をとることで長者原へ急いだ。雨が池までの緩やかな登りは何とか越えたものの、その後同じような樹林帯を黙々と下りつづける時間の長いこと。歩けど歩けど目的地が見えない苛立ちに足の運びは鈍くなるばかりであつた。

長者原に15時20分無事全員戻ってきた。
諫早を出発するとき、雨を予想し、目的達成できるかどうかほとんど諦めていた。しかし、天気予報は、良い方に外れてくれた。たぶん日頃の行為が良い会員がいてくれたからだろう。その方たちに感謝する。

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