大株歩道入口には沢山の人が腰をおろしていた。たぶんこれから縄文杉に向う人たちであろうか。この人たちにとっては、これまでのトロッコ道からいよいよ急な自然道に変わる変化点である。この先縄文杉までの往復6時間の間にはトイレはない。用を済まし、気分を引き締めにかかっているに違いない。われわれは逆にほぼ90パーセント完走して気が緩みがちになる場所である。

一息いれた。この先荒川登山口までは、トロッコの軌道敷きで急なアップダウンはないことは想像できる。ただ「トロッコ道は歩きにくい。疲れる」という計画時点で仕入れた情報がそうだとすれば、そのことがこれから先の心配の種だ。

屋久島森林管理署気動車。
登りは前進、下りはバックで運転していた。
走行時はライトを点灯する。

枕木の設置間隔と歩く歩幅の違いで、枕木に合わせれば歩幅は小刻みになり、枕木を無視すれば大股になる。どちらを選び、疲れを軽くするかの問題である。

軌道敷きを歩き始めた。しかし、心配していた道とは違っている。レールとレールの間には歩く方向に道板が設置してあり、自分の歩幅に合わせ楽に歩くことができる。

この道板が何処で切れるか、このまま最後まで道板があってくれと、そのことばかり考え歩きつづけた。右手に沢の音が聞こえてくる。下るにしたがって沢の巾は広くなり水量も増してくる。これが安房川の上流だ。

軌道敷きに現れたヤクシカ。
単独行動をするのか群れには会わなかった。

下の方に橋が見えた。あんなところに道がある、何処へ行く道なのかと思っていたら、眺めた所から左に大きくカーブしてまた右に進みその橋に来た。

「みだれ橋2号」と高欄の柱に記してある。この橋はもちろんトロッコ列車の橋で頑丈に作ってある。左岸に渡りまもなくしてまた橋があった。その橋は右岸に取り付き「みだれ橋1号」と名前が付いている。

わずかな距離に軌道敷きは左岸右岸と蛇行しているのである。地形の厳しさから左右に道は作られたのだろうが、右に行ったり左に行ったりと足元が乱れているという意味の橋の名前かもしれない。

おおよそ1時間が過ぎたころ軌道敷きの脇で作業している人たちに出会った。白谷渓谷と荒川の分岐まで後どれくらいの距離かを尋ねた。「すぐそこ、100mぐらいだよ」といかにも着いたかのような返事が返ってきた。しかし、下れど下れどそのような分岐は見つからない。見落としたのではないかと心配になったころ、それらしい標識を見つけた。どう見積もっても300mから400mはある距離だった。

時間は11時35分になっていた。ここで昼食にしてコーヒーでも沸かし、タクシーの予約時間まで時間調整するかと言ったら、Aさんが「ここでは気分がゆっくり出来ない。早く終点に着いてそこでゆっくりしたい」と異議が出た。それじゃ残った行動食でも食べて、腹拵えするか・・・・。

軌道敷きの脇に座り込んで食べていると、荒川登山口のほうから登って来る一人の男性が目にはいった。こちらに近付くにしたがい、どこかで見たような人だな、と何時どこで会ったのか考え込んだ。目の前まで来て話かけた。その人は二晩小屋で一緒になった千葉・神奈川組の一人であった。

千葉・神奈川組の2人は、白谷渓谷経由で楠川に出て、14時の路線バスに乗るのだといって、われわれよりも早く新高塚小屋を出発していた。

「この分岐点を見過ごして、荒川のほうに降りてしまった。トロッコ電車に出会ったので尋ねたら通り過ぎているというもんだから戻ってきた」と疲れ切った様子である。「もう一人の人は?」と尋ねると「がっくりきて後からきています」との言葉に気の毒で返す言葉も出なかった。往復1時間のロスだと聞いて我がことのように疲労の辛さを感じた。後の一人もまもなく戻り、そこに座り込んでしまった。

重要な分岐点の案内標識にしては小さく、建っている位置も見にくいようでわれわれも見過ごしてしまいそうであった。

これがトロッコ列車。
白谷渓谷分岐で休憩している時に登ってきた。画面左側から楠川・白谷渓谷へ向う道がある。

この人たちも食事をはじめた。

大株歩道入口で追い越した人たちがやって来た。このパーティーは逆に白谷渓谷を荒川登山口に行き先変更するパーティーで、タクシーを予約していないからどうしたものかと心配していた。Sさんが荒川登山口に着いたらあそこにはたぶん公衆電話があるはずだから先に着いてタクシーに電話しますと助け舟を出した。このパーティーは昨日白谷渓谷で仲間の一人が捻挫し何人かはきのう引き帰したそうで、もう白谷は通りたくないと言っていた。

こんな話しをしている中に、元気のよい若者が降りてきた。彼もここで足を止め休憩した。Aさんがその若者に話かけた。彼は今朝4時に淀川登山口を出発、宮之浦岳に登り、縄文杉、ウイルソン株、とわれわれと同じコースを縦走して今ここに着いたのだという。

何と8時間でここまで来たのだ。われわれは山小屋に二晩泊まって今ここにいる。恐れ入った。

ザックを卸したTシャツの背中には『消防魂』の大きな文字がある。そのことを尋ねると鹿児島市消防局のレスキュー隊員だという。消防署に勤めてまだ2年にしかならない24歳だそうである。これから白谷渓谷の方に降りるというから、千葉・神奈川組に一緒に行きませんかと話したら「とんでもない、とても一緒に付いていけない」と即座に断わられた。

それぞれのパーティーにはそれぞれの思惑があり、そこには悲喜こもごものドラマが隠されている。われわれはここまでトラブルもなく順調に来た方だと感謝しなければならない。

お互いの安全と健闘を願って別れた。

門柱と草ぼうぼうの校庭が残る小学校の跡地を過ぎると長い橋を左岸に渡る。ここからは最後まで川を左手に見ながら歩いて行くことになる。ほとんど高低差はなく平坦な線路といった感じである。ここに来て線路と線路の間にあった道板がないのに気付いた。

荒川登山口に着いてから振り返ってみれば道板があったのは歩いた区間の三分の二ぐらいではなかったと思う。前情報よりも楽であったと感じている。

裸電球を取り付けた素掘りのトンネルが見えてきた。トンネルまで来れば荒川登山口はもうすぐそこだ。ここまで来る間にトロッコに4、5回も出会った。材木を積んでいるわけでもなくどんな仕事をしているのだろうか。

もうここまで来ればゴールは後わずか。素掘りのトンネルに裸電球がぼんやりと点いていた。

終点に着いたのは13時20分。登山口の駐車場は満杯状態で、強い夏の太陽が車を照り付けていた。青い空に分厚い積乱雲が湧きあがり足元ばかり見ていた目にはあまりにもまぶしい空である。

休憩できそうな木陰を探したが見つからない。トロッコ置場の簡単な屋根囲いの下を借りてザックを卸した。これで3日間の縦走は終わった。長いようでもあり瞬間の出来事のようでもある。達成感と、もう歩かなくても良いという安堵感で嬉しさがこみ上げてくる。

荒川登山口
右の建物はコンクリート造りのトイレ。正面の青い屋根はトロッコ置場。
軌道敷き兼登山道路はトロッコ置場の左からスタートする。
荒川登山口駐車場

この先軌道敷きへは車は入れない。
タクシー待ち時間の間、通行止のロープに雨に濡れた衣類を干す。

タクシーの予約時間まで2時間ある。お預けにしていた昼食でもゆっくり作るか。それには料理用の水がいる。3人とも水は飲み干し料理に使う水はなかった。水を求めにAさんは立派なコンクリートの建物に向った。モダンな建物は、みやげ品を売る店だと誰でもが思っていた。ところがそこはトイレであった。手洗い用の水は飲料水に使えないと書いてある、とAさんがガッカリして引き返してきた。またまた料理はお預けである。

小屋の中のトロッコに寝そべり時間を潰すしかない。登山靴を脱ぎ素足になった瞬間の心地よさ、歩き疲れ麻痺していた足が生きがえる感触が血管から伝わってくる。

Sさんは、ここに着いてからタクシーを呼んでやる約束をしていた。ところがここには公衆電話はなかった。携帯電話は不感地帯で使えない。方法がなく困っていると、タクシー予約を依頼していたグループが到着した。白谷渓谷分岐でわれわれと別れたあと森林管理局の電車と出会い、管理局の無線電話で連絡してもらった、とSさんに事情を話していた。Sさんも安心した。

そのグループ4人はかなりの年配者で4人とも70歳前後に感じた。四国香川県の人たちで年一回は全国の百名山を目指していると話した。

ゆっくりとした行程を組めば、年齢に関係なく何時までも山は楽しめると、歯が抜け、いかにも爺さんだという感じの人が話した。その話し振りと顔の表情から「年齢に関係なく」というくだりに実感がこもっていた。

3時にタクシーが迎えに来た。それは香川のグループが予約した車であった。

『あとの雁が先になる』という諺があるがまさにそのとおり、後から着いて先に帰ってしまった。われわれが予約していたタクシーは時間どおり3時半に来た。

ザックを後のトランクに詰め込んだ。そうだ、屋久島空港でこの同じタクシーにこうしてザックを詰め込んだ。あのときは雨だった。そして未知の世界への緊張感があった。今は違う、天気は快晴、心も晴れ晴れとしている。満足感と開放感で溢れている。この気分を味わうための3日間であった。

風呂と冷たいビールが待つホテルへタクシーは走り出した。

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