霧島山行記(2)

冠詞つきの「早い」

今夜のメニューは、カレーに野菜サラダ。カレーはレトルトご飯をお湯で戻し、カレーも温めるだけの簡単なもの。りんご、きゅうり、とまと、レタスを刻んでサラダ作りに取りかかる。全員で皮をむいたり刻んだりしたが一番手際よかったのは、外国航路のタンカーの船長だったというSさんである。

刻んだ野菜は、大きなトレー二つに分けた。1つはマヨネーズでサラダに、もう1つはドレッシングをかける。
 三十分で出来上がった。このメニューで料理の時間がどのくらいかかったかは、来月屋久島縦走するときの貴重なデータになる。

キャンプ場には温泉がある。ここから歩いて2分と近い。入浴時間は20時までとキャビンのキーを貰う時に管理人から聞いた。入浴が先か食事が先かを相談したら、食べる方が先だ、腹が減っては温泉に入る元気もないとみんなの意見が一致した。

冷えたビールで、今日の無事と明日の安全を願って乾杯。マヨネーズをかけたサラダよりもドレッシングをかけたものに人気があった。

ポテトが加わればもっとよいのになぁ、と欲を出す者もいたが煮えるまでに時間がかかりすぎると即座に否決された。しかし、いまは乾燥野菜(ぽてと)もあるというから調べておくべきだ。

時間をかけてアルコールを楽しむ者と、アルコールは一杯で後はご飯に飛びつく者に都合よく二人ずつ分かれた。アルコールがあまりいけない二人は温泉に行ってしまった。残った二人で、地元銘柄の焼酎の符を切り楽しんだ。

アルコール組は入浴制限前に走りこみ、汗を流した後、また四人で焼酎を酌み交わしながら話し込んだ。

まずは料理の反省点から議論し、屋久島には、サラダは不向きであると判断した。材料が生もので重たい、持ち運びが軽くて簡単に水で戻せるものを選ぶべきだということになった。

あとは元船長さんの話やインドネシアの小島で現地人と長く暮らしたAさんの話を無理矢理に語らせた。外国の生活を経験したことがない私には大変興味深かった。まだ時効がきていないから具体的にここで紹介はできないのが残念である。

明日は、4時起床の約束で9時に寝袋に潜り込んだ。

床の中で4時になるのを待っていた。起き上がると気配を感じて一斉にみんな起きた。即席の味噌汁を作るお湯を沸かし、昼飯のレトルトごはんをお湯で戻した。

朝ご飯は、きのうえびの市のスーパーで買ったおにぎりである。昨夜の酒のもたれで食欲はなかったが、きょうは7時間の長丁場である。朝から食い込みエネルギーを蓄えなければならない。冷たいおにぎりと熱い味噌汁を無理して胃袋に押し込んだ。

部屋を掃除、装備とゴミ袋を備え付けのリヤーカーに積んで外に出たのは5時10分。外は明るかったが冷え込んで手が冷たかった。

キャンプ場を5時25分に出発、韓国岳登山口へ向った。登山口の駐車場には数台の車があり、すでに登っている人、準備をしている人とウイークデーにも関わらず登山者が多かった。ある夫婦連れに尋ねたら、昨夜から駐車場に車を停め、車の中に泊り込んだという。

各自でストレッチ体操をおわって登りはじめたのは5時45分であった。登山口バス停からすぐ直登の階段が続く。身体を馴染ませるには階段は不向きである。無理しないように意識的にゆっくりと足をあげる。

これから歩く韓国岳、新燃岳、中岳、高千穂河原の縦走コースは、3年前に経験した。ハイキグキングクラブに入会して2年目の年でかなり緊張して、みんなと一緒に最後まで付いて行けるか心配だったことを思い出す。あのときには高千穂河原に着いてから、まだ余力がある者は、更に高千穂峰をめざすことになっていた。高千穂河原に着いたのは午後2時ごろだった。

6時間の縦走でかなり疲れていたが、自分よりも年上の女性が挑戦する姿を見て、弱音を見せたくない見栄から参加した。三歩登って二歩後退する急なガレ場ははじめての経験で、一生忘れられない苦しい山の一つになっている。

きょうの目的は、屋久島を縦走するための訓練で、荷物を担いで7時間歩き通すことである。5合目あたりまでは、急な坂で階段とガレ場で足元が悪い。樹木が繁り視界が悪くただ我慢して登るしかない。距離を著す標識ごとに休憩して息を整える。担いでいる荷物の重みで足が思うように上がらない。

山登りの苦痛は環境によって大きく影響される。6合目あたりもこれまでとあまり変わらない坂でありガレ場だが、視界が開けた途端に疲れは忘れ、すばらしい景色に見惚れる。すばらしい眺めがエネルギーとなって勢いよく足が上がる。これが山登りの醍醐味であろうか。

振り返ると、昨日登った甑岳、白鳥山が目線より下に見える。斜めから差し込む朝日で陰陽のある姿は昨日真昼に見た山容とは異なっている。四季、時間、気象条件によって千変万化する山の姿は限がないようだ。

9合目あたりから前方の視界が開け、懐かしい山々が顔を出す。遠望に聳える高千穂峰、ぽっかりと口を開いた新燃岳の火口、丸味をおびた獅子戸岳、三年前と少しも変わっていない。

7合目あたりから右手にいつも見えていた大浪池

韓国岳の山頂にザックを降ろしたとき七時二十五分。日常の暮らしではまだ朝飯前で頭も半分眠った状態であるが今日の身体は違っている。早起きして一汗もふた汗も掻いて、達成感と懐かしさで生き生きしている。

山頂には先に着いた夫婦連れらしいパーティーが三々五々、下界を眺め語らっている。こんな夫婦の暮らし方もいいなぁ、と羨望の眼差しで通り過ぎる。私たちを追い越したパーティーは確か二組だったと思うが、ここには多くの登山者がいた。山好きは夜明けを待ちきれず、暗いうちから歩きだし、ご来光を楽しむのであろう。

思い思いに写真を撮り終わると三角点に集まり記念撮影をする。そのあと溶岩に腰をおろしボトルの水を飲む。坂を登る途中の水も美味しいが、山頂に座り満足感に浸りながら飲む水はまた格別である。

韓国岳山頂からの眺め。
溶岩に腰をおろし水を飲む。
太陽は左から昇りはじめ、岩の影足はまだ長かった。
通り過ぎる風は爽やかだった。

ザックを担ぎ、獅子戸岳に向って歩き出す。まもなくして脚立を持った中年の男性に出会った。その格好から写真家だとすぐ判断がついた。Aさんが話し掛けた。一年中霧島山系の山を歩き、ホームページで山の情報を流している人だった。荷物は脚立といくつもの写真機でかなりの重量のようである。脚立を担いだ格好はこの霧島では有名らしい。今日撮った写真は今夜ホームページにUPしますから見てくださいと名刺を差し出された。

霧島フォト Gallery 島田英雄』住所は鹿児島県国分市となっている。名刺を見てこの方は写真館を営むご主人かな?と思ったが、それ以上は詮索しなかった。こんな人生が送れる人は幸せだな、と山頂で夫婦の姿を見て感じた羨望の思いがまた湧いてきた。よそさまの生き方が羨ましくてならないこのごろである。

二人とも拙いホームぺージを持っているから「よろしく」とAさんは名刺を渡し、わたしはホームページのハンドルネームを告げた。

名刺のやり取りだけでは顔が思い出せないからと島田氏は、高千穂峰をバックに二人を写真に撮った。じゃ、あなたも撮らせてください、お願いしたら心安くポーズをとってくれた。こんな所でインターネットの環が広がるのは嬉しいかぎりである。

獅子戸岳に向って歩き出す。当分は下りになるが足元は急で、久住の事故の二の舞にならないよう慎重に降った。

韓国登山口を発ってから4時間で獅子戸岳に着いた。ここから一旦下りて、また登りつめるとそこは1時間で新燃岳である。

ザックを卸し行動食を食べることにする。草餅、バナナ、最後は口直しにトマト。昨夜の冷え込みのたまものであろうか、トマトは特別冷やしていたわけではないが冷たくて美味しかった。

朝飯を食べてから4時間が過ぎていた。新燃岳と獅子戸岳のツツジを眺めながら行動食を食べる。(9:25)

新燃岳の稜線に立った。エメラルドグリーンの火口湖は3年前と変わらない美しさであった。新燃岳は昭和34年2月17日に爆発している。その後に溜まった水がこのように美しい色を40数年間保ち、登山者の目を楽しませているが、何時また爆発するかわからない危険な山でもある。

新燃岳の火口縁から見下ろした湖底

この先火口湖のなだらかな稜線を歩けばまもなくして中岳に着く。

新燃岳から中岳に通じる木道。
歩幅に合った階段は歩きやすかった。丸い山が中岳。その先は高千穂峰。

11時20分中岳に到着。朝8時前、韓国岳から眺めた高千穂峰は遠くに小さかった。3時間半後、中岳からの高千穂峰は見上げるほどに大きく雄大である。

新燃岳から中岳に向う途中、これまで歩いた山を振り返って見る。遠望の山が韓国岳、中間の丸い山は獅子戸岳、なだらかな稜線は新燃岳。手前のツツジは中岳への中間点付近。
同上写真と同じ地点から進行方向を見る。
遠方は高千穂峰、中間は中岳。

赤褐色の急峻な登山路を身近に見て、3年前の三歩登って二歩後退した苦しい場面が蘇ってくる。今回は韓国岳から高千穂峰まで一気に縦走する計画はないが、もしその予定であったならば到底登る元気はもうない。

昼食は、高千穂河原まで下山してから摂ることにし歩き出した。12時45分。無事に高千穂河原に下山。7時間の縦走であった。

縦走を終え、ザックを降ろし高千穂峰を見上げた。
霧島神宮からは高千穂峰の山頂は見えない。二峰の山は御鉢。

タクシーの予約は午後3時であったが電話で時間変更を伝え、早く迎えに来てもらった。「早く着きましたね。」運転手さんの挨拶である。「6時前に登りはじめたもんですから」「それにしても早く着きましたよ」

韓国岳登山口に引き返すタクシーの中で縦走時間の話しが続いた。早い人でどのくらいかと尋ねたら「自衛隊さんは訓練で4時間かかるそうですよ」との返事。

なるほど、7時間で「早い」という意味は『年齢のわりに』と冠詞が付いていたわけである。それにしてもこの縦走で屋久島が一歩近付いた感じである。

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