阿蘇山・久住山登山記(余録)2
平成15年5月3日 阿蘇
仙酔峡登山口〜仙酔峡尾根経由〜高岳〜中岳〜中岳稜観測所〜ロープウエイ東口駅〜仙酔峡登山口 

平成15年5月4日 久住

牧の戸峠バス停〜沓掛山〜分岐〜久住分れ〜久住山〜天狗の城〜中岳〜法華院温泉小屋〜坊がつる〜雨ヶ池越え〜長者原・くじゅう登山口 

    このページは、山行の余談話として纏めたものです。

   山行記は、同行した下記2氏のホームページをご覧ください。

    「我が道を行く」http://www5a.biglobe.ne.jp/~Waag/

    「Jalan Jalan] http://www.1388.ne.jp/jalan/
長文です。お急ぎの方は後半部分だけでもお読みください。

渋滞の原因はわかった。ロープウェイ駅舎付近にある3ヶ所の駐車場が満杯なのだ。よく見ていると駐車場を出る車と入れ替わりに待っている車を交通整理人が招き入れている。下山する車が多いことを祈るしかなかった。10分ぐらい待って駐車場に入ることができた。

300mの区間を10分という時間は渋滞というべきか順調と解釈すべきか、そのときの本人の気持ち次第だろう。朝から渋滞に巻き込まれることもなく、ここまで順調に来たのだからこの10分は苛立ちを感じるほどではなかった。

登山靴に履き替え、急勾配の仙酔尾根を見上げ歩き出したのは1230である。予定時間どおりにスタートできてホッとした。

予定のコースを回り駐車場に戻ったのは、1720分。

今夜の宿は、阿蘇駅近くの民宿である。Wさんは登山のあと温泉に入るのも楽しみの一つだと聞いていたので、内牧温泉の宿を探した。しかし、この日は熊本県内の剣道大会が開かれ、内牧温泉はどこも予約で満杯だと断わられた。仕方なく、阿蘇駅近くの民宿にした。国道から細い道を何回も折れ曲がって民宿に着いた。

民宿とはよく言ったものだ、とそこに着いて感じた。周りは農家ばかり、その民宿も農家つくりの家だった。民宿の道案内板がなければ探し当てるのに苦労したであろう。案内された部屋は、10畳ばかりの板の間、ここに6人が雑魚寝ということだ。

幾部屋もあり、先に到着しているお客が大浴場は使用中で、われわれは家族が使う小さな風呂で二人ずつ何回にも分れ汗を流した。

全員が風呂を済ませ、夕食のテーブルを囲んだのは7時ごろであった。料理のメーンはスキヤキのようだ。宿としては大きな鉢に盛り付けてしまえばあとは手間がかからないで簡単である。そのほか地元の山菜料理が小鉢に幾つかあった。

わたしは、熊本では「馬刺し」が食えると密かに期待していた。しかし、その願いは叶えられなかった。それはそうだろう、最も安い宿泊料金で交渉したのだから仕方がない。

まずは生ビールで乾杯といくか・・・・。これもだめだった。瓶詰めのビールしかないという。

京都のTさんはまったくの下戸、長崎のAさんは酒はいける口だが、五月下旬のトライアスロン出場に備え断酒して目下トレーニングに励んでいる。私がビールを飲むよう、けしかけても乗ってこない。意志の硬さには敬服する。

Kさんはビール一杯で「もう結構です」の口、あとはWさんと一番若いMさんと私、ビールを何時までも飲んでいては勿体無い。焼酎に切り替えた。熊本では熊本産の焼酎を飲もうと注文したがなかった。

 あるのは大分と鹿児島の焼酎だという。同じ食堂では二組のグループが食事をしている。家族づれで静かな食事だ。われわれだけはしゃぐわけにはいかない。声が大きくならないうちにその場を引き上げた。

部屋に帰って、テレビを見る者はいなかった。昨夜からの車の旅、午後からの登山と、今夜は疲れの限界に達し、身体を横にすること以外に望みはなかったようである。

朝5時、Aさんが部屋の電灯をつけた。みんなまだ眠い顔をして目を擦りながらしぶしぶ起きた。「5時」は寝る前に決めた約束の時間である。準備を整えて6時に民宿を出た。

宿の交渉をするとき朝が早いから朝食と昼の弁当を作ってくれるようにとお願いした。だが近くに24時間営業の食堂があるからそこで食べるようにと断わられていた。宿の勘定は寝る前に済ましていたのでそのまま民宿を出た。

24時間営業の弁当屋さんで、ひと通り店内を見て回ったが「元気朝食」が一番よさそうである。大盛りのご飯に、味噌汁、のり、鮭、野菜サラダ、たまご、これで400円とは安い。食べてみると量も多く満腹した。

 昼食は山で即席の料理を作るつもりで長崎から買い込んでいる。

 今日は牧の戸峠から久住山に登り、中岳、法華院温泉経由で雨ヶ池越え、長者原までの7時間の縦走である。

 牧の戸峠に7時30分に到着。駐車場はほぼ満車に近かかった。この連休は天気に恵まれ、前夜からの泊組も多いようだ。

 一台を長者原駐車場に回送して再びここに戻り、登山開始は8時20分になった。出だしの一時間は急坂続き、あとはなだらかなアップダウンの繰り返しで比較的に楽なコースである。ただ長者原までは7時間の長丁場で持久力と忍耐力の勝負になる。

沓掛山付近からの三俣山
西千里が浜から久住山を眺める

 久住・中岳で11時半。ここで昼食にする。
 風の当たらない南斜面を選び、ガスコンロを二つセットする。一つのコンロでは水をたっぷり入れたコッヘルにレトルトのご飯を入れ沸騰するのを待った。もう一方にはお湯を沸騰させ、即席のキツネうどんにそのお湯をかける段取りをした。

 ここまでは順調に段取りできたと思っていた。ところが10分過ぎごろからおかしくなった。うどんは出来上がったがご飯はまだ硬く食べられる状態ではない。ご飯は熱湯で戻すのに15分と容器に表示がしてある。うどんは熱湯をかけると5分で食べごろになる。

即席のキツネうどんを作るAさん

 この時間差に気付かずに同時に調理してしまったのだ。いまさらどうにもならない。出来たうどんをご飯が出来るまで待っていると延びてしまう。うどんだけ先に食べることにした。腹が減っていたのでみんなあっという間に食べてしまった。うどんを食べ終わってもまだご飯はできていなかった。数分後、炊き上がったご飯をみんなに配った。

 食品購入計画を立てるとき、白ご飯とカレー、それにうどんと決めた。しかし、できるだけ背負う荷物を少なくしようと、うどんをおかずにすれば、カレーはなくてもよいではないかということになり取り止めた。

 塩気なしのご飯は美味しくない。誰か塩は持たないかと尋ねたが誰も持っていなかった。これからまだ3時間の長丁場を歩かねばならない。うどんだけでは体力が続かない。我慢して口に押し込んだ。

 その後コーヒーを沸かした。いざ飲もうとして「砂糖は?クリープは?」と声がかかった。買うのを忘れたことに気付いたがいまさらどうしようもなかった。

 Wさんが「生八ッ橋」をザックから取り出しみんなに配ってくれた。
「こんなに高い山で生八ッ橋が食べれるなんて」と言いながらMさんは口に入れている。みんな感謝し、少しずつかじってはコーヒーをすすった。

 失敗は成功のもと、後々役立ち、またよい思いでとして記憶に残るであろう、と善意に解釈することにした。

 腹拵えをすると、九州本土の最高峰1791mの中岳から1303mの法華院温泉まで一気に標高差500mを急降下しなければならない。

 Mさんは高所恐怖症なのか、降りはじめると下を眺めたくないと言って足元ばかり見つめていた。降りだろうが登りだろうが山歩きは足元をしっかり見ることが鉄則である。私も極端ではないが高所恐怖症の分類にはいる。屋根の端っこやオーバーハングした岩の上に立つと股間が萎縮してしまう。

 法華院温泉までは標準コースタイムは降りで80分となっているが、危険な個所は降りるよりも登る方が楽で時間的には登りとたいして変わらない。だから1時間半から1時間40分ぐらいはかかる。

 一時間近く降った所で崩壊のため迂回路になった。浮石の多いガレ場で足場が不安定である。かなり注意して足を交わしていたつもりだったが転んでしまった。たぶん転んだのであろう?

 意識が戻ると、ガレ場にうつ伏せになっていた。どうしてこんな状態になったのか、ほんの数秒の記憶が思い出せない。岩に頭をぶっつけたそのショックで記憶を失ったと勝手に解釈しているがはたしてそうだろうか。

 右の額に鈍痛がある。手で押さえてメガネがないことに気付いた。
手の平に赤いものがついた。「血が出ているなぁ」という感じで慌てなかった。落ち着いているといえば聞こえはよいが、頭が朦朧として状況判断が出来る状態になかった、といった方が当たっているだろう。

 私は最後を歩いていた。10Mばかり先を歩いていたAさんが戻ってきてくれた。たぶん転んだとき音がしたのだろう。傍に来て彼が何かを言ったようだがまだウワノソラ。返事をするよりも「めがね」とめがねを探してくれるように頼んだようである。

 めがねは近くに落ちていた。右のレンズは蔓の付け根から割れている。頭の傷の状態から状況が少しずつ想像できた。岩に右の顔をぶっつけ右のめがねのレンズは岩と顔の間でサンドイッチになったらしい。

 眼の周りがレンズの型に内出血してパンダのように黒くなっているという。レンズがガラスではなくプラスチックで弾力性があり、逆に眼を岩から守ってくれる結果になっていた。レンズがガラスであれば破損し、眼球に突き刺さったことも予想される。それを思うと冷や汗が出る。不幸中の幸いと思い直すしかない。

 常に救急用の薬はザックの中にある。中のものを全部引っ張り出し、一番底にある薬を自分で取り出した。もうこのころには意識ははっきり戻っていた。Aさんに傷口の消毒をしてバンソウコウをはってもらった。頭以外の痛みはなかった。

 またいつもの足取りで坂を降った。足の骨折でなくてよかったと胸をなでおろしながら慎重に足を交わした。

 法華院温泉小屋まで1時間30分で辿り着いた。しばらくのあいだこの先は道幅も広く、平で安心して歩ける。

法華院温泉山荘  置き忘れたストックはなかった。

 この安全なコースを歩く間、あの魔の数秒間の出来事を思い出そうと懸命になった。

 急坂を緊張しながら降る時間は、1時間以上過ぎていた。疲れが出て重たい靴を持ち上げる力が衰え、躓いてひっくり返ったのだろうか。それともストックに体重をかけた途端にストックごと前のめりになったのか、その瞬間の状況が浮かんでこない。

 本人は緊張しているつもりでも、人間は長時間の緊張を持続することは難しい。確かにこの一時間の間には、いろいろのことが浮かんでは消え、また次のことを考えていた。

 今朝出掛けに、排便の機会を無くしていた。それで食べた後に出す、このサイクルが狂ってしまった。午前中は何とか我慢したが、昼飯を詰め込んでいよいよ便意が起こり我慢しながらの降りであった。これに気を取られ注意が疎かになったのだろうか。

 また一昨年の秋、紅葉を見に久住に来た。その日は雨で寒かった。昼食は法華院温泉小屋のストーブで暖を取りながら食べた。その帰り、ここにストックを忘れて帰った。またいつか来る機会もあろうとそのままにしておいた。

 二年半もの前のこと、保管してあるとは期待していないが、なくてもともと、あれば儲けものだ、きょうはストックのことを尋ねてみようと思ったこともある。こんな諸々の雑念から、集中力を欠き転んだのかもしれない。あれこれとその瞬間の心理状態を思い出そうとしてもなかなか浮かんでこない。

 自分本位で不謹慎だと非難されるに違いないが、こんなことも考えた。あのままどこまでも転げ落ち、意識が戻らなかったらあの世逝きだ。苦しみ痛みも知らないまま楽に人生を終えたかもわからない。病で家族に迷惑をかけ、また本人も苦しむよりも、この「ピン、コロ」も悪くはないなぁ・・・と。

 本人にとっては楽な死に方であっても、山の遭難は家族はもちろん、多くの人たちに迷惑をかける。そのことは充分肝に銘じての登山を心がけているからお許し願いたい。ここでは私個人がこのアクシデントで去来した一端をしゃべっただけであることを付け加えておく。

なだらかな坊がつると雨ヶ池峠を過ぎれば長者原登山口に着く。しかし、時間にして2時間はたっぷりかかるコースで、まだまだ気を緩めるわけにはいかない。再び歩き出した。

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