岩宇土山・福寿草観賞登山

32日     福寿草の山へ

昨日の天気とはうって変わった快晴である。

何年か前、年賀ハガキのデザインが福寿草の年があった。そのとき福寿草という花の名前を知った。積雪の中から顔を出す早春の花で、寒い地方にしかない花だと思っていた。が、九州の南の地方にもあったのだ。もちろんこれまで実物を見たことはない。

いよいよその花にきょう会えるのである。何となくわくわくした目覚めであった。

朝食も終わり、最後の部屋掃除に取り掛かった。女性のHさんが箒で掃いている途中で動かなくなった。腰が痛く動けないという。ギックリ腰になったらしい。

これは困った。みんなの張り切った顔が曇った。本人と付き添いの女性を残して出発することに決まった。山の中でギックリ腰になれば事故と同じである。出発前で幸いだったと物事は良い方に考え、割り切るしかない。

久連子(くれこ)登山口に着いてみると、林道脇には車が数珠つなぎに停めてある。

登山口の車の列


九州各県はもちろん、広島、山口ナンバーもある。福寿草フアンの多さにびっくりした。

登山口からかなり離れた場所に隙間を見つけ車を停めた。

登山口の案内板の横で「案山子」が迎えてくれた。時期はずれの感じがしないでもなかったが眺めているうちに、これから登るぞ!と緊張している身体をユーモラスな姿でほぐしてくれる役目をしているようでもある。

案山子の歓迎を受ける

とはいっても、最初の一歩から小石の多い坂である。道幅は狭く、片足おくのがやっとで両足そろえて立つ余裕は無い。体がほぐれバランス感覚を取り戻すまで緊張した。

ルートはほとんど尾根伝いで標高差400mまでは息つく閑もないような急坂を登ることになる。それからまた緩やかな登りを300m稼がないと目的の岩宇土山に達しない。

出発して10分で汗を掻いた。予想よりかなり登りにくい山にみんな戸惑っている様子。いつもは30分歩いて一息いれるが、いつもより早く10分で休憩をとり、衣服調整と水分補給で態勢の建て直しをはかる。

同じ年配の7人のグループとは休憩している間に追い越され、相手が休憩している時に追い越すといった調子で登っていたが、平場に辿り着いたときには同じ場所で休憩した。

「どちらから?」と話し掛けると「福岡から来ました」という。私たちは前の日から来て近くで一泊していたと話したら「今朝5時半に福岡を発ちました」との返事に、がんばるなぁと感心した。山好きの高齢者たちは気力も体力も若い。

あこがれの福寿草をボツボツと見かけるようになったのは七合目付近からであった。時刻は1020分ごろ、太陽がやっとこの辺りを照らし始めたころで、花は眠りから醒めようとしているところであった。

開花を待っている人がいた。三脚を据え、太陽の光線の具合を待っているだろう。

先頭を行くリーダーのKさんが挨拶すると、相手は「オレンジの方ですか」と問いかけてきた。話しているうち、その方は隣町の人であることがわかり、急に身内のような親近感をおぼえた。この方はここで写真を撮り山頂までは登らずに帰ると言った。

日陰の斜面に福寿草は点在している。ほとんどが蕾みのままである。花は太陽を待っている。岩宇土山山頂まで行って戻って来るころには開花しているだろう。

坂を登り尾根に出た。しばらくして樹林帯がきれ視界が開けた。振り返ると昨日の大雨で大気のごみを洗い落とした空がどこまでも透きとおっていた。

西の方向に聳える雲仙・平成新山

はるか彼方に雲仙普賢岳・平成新山がくっきりと浮かんでいる。歩くのを止め写真機を取り出した。昨日雲海をもっと良い場所で撮ろうと欲を出し、その後チャンスはなかった。いまを逃がしたら次の保証がないのが山の変化である。

ガレ場の次は草丈の高い枯れた萱の中、そこを過ぎると背丈以上もあるスズタケのトンネルになるなど植物の種類が目まぐるしく変わった。

私は相変わらず写真を撮りながらで最後尾からついていたが、かなり遅れてしまった。

上福根付近の残雪

向こうから夫婦らしい人がやってきて、すれ違う時に「ここが岩宇土山の頂上だよ、ここで写真と写そう」と男性が話している声を耳にした。

私のグループは先に進んで姿は見えない。ここは頂上ではないだろう、とその言葉は信用しないで先を急いだ。

2、3分歩いたころ「どうも行き過ぎたようだ」と言いながら引き返してくるわがメンバーに出会った。さっき出会った二人連れのことを話したら、その場所が岩宇土山に間違いないと地図を見ながらリーダーは先になって引き返した。

昨日の猪ノ子伏の通り過ぎ、今日の通り過ぎとミス続きの山行になってしまった。

岩宇土山山頂は三角点も標識もない、狭い道の通過点に過ぎない所だった。それに葉っぱを落とした冬木の枝に覆われ、視界は効かない場所だった。

目的地では記念の集合写真を撮るのが慣わしだが、ここは8人も並ぶ場所さえなく、そのまま引き返した。岩宇土山から引き返すこと15分。わき道にそれ展望が効く場所で昼食にした。青い空と遠くに見える平成新山を眺めながら、行動食のあんこ入りの草餅とバナナの昼食をとる。贅沢を言うわけじゃないがやっぱり米の飯が欲しい。米の飯でないと食べた気分がしないし、満腹感もない。

腹ごしらえが済むといよいよ福寿草が待つ場所に下りていく。福寿草はあちこちの斜面にあった。福寿草は一箇所に群がってじゅうたんを敷き詰めたように咲いているものと勝手に想像していたが、そうではなかった。一株か二株が分散した形で広い範囲にまたがっている。

太陽に向って花びらを広げる福寿草

花びらを思いきりひろげ、太陽エネルギーを吸っていた。

斜面全体を表す景色は花が小さく絵にならない。部分部分の花を写すことにした。全体像は眼の中に納める。

写真を撮り終え下山し始めたのは12時30分であった。

それにしても今日の天気は春とは思えない強い陽射しで、花を楽しむ登山者には最高の一日であった。

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