南アルプス紀行

(北岳・間の岳・農鳥岳縦走)

コース地図

第五回
 この悪天候でも農鳥岳は登山者で賑わっていた。思い思いにごつごつした岩に腰をおろし、雲が切れ、山の姿が見えるのを待っているようである。

 11時50分になっていた。小屋で作ってくれた弁当を食べる。食べながら目は雲か切れ富士山が現れるのを待った。その方に気を取られ、ここでも弁当を写真に撮るのを忘れてしまった。

 北岳山荘の弁当は、今回の山行で4回弁当を食べたが一番よかった。しかし、値段も他の山小屋の500円にたいし1100円だから当然かもしれない。

 視界が晴れるのをゆっくりと待っていたかったが、また小雨が降りだし険悪になってきた。弁当を食べ終わると足早にガレ場を降りはじめた。

 これから今夜泊る大門沢小屋までは降りの連続になる。
大門沢降下点までの40分は比較的に緩やかな降りで楽だった。降下点には櫓を組んで鐘が吊るしてある。この鐘は遭難した時に鳴らすのだろうか。鐘の音は何処まで聞こえるかな、と考えながら通り過ぎた。

 小雨混じりのガスが覆いはじめた。これから先の一番危険な急坂で滑らなければよいがと心配になる。小刻みに足を交わしてゆっくりと降りる。急斜面を九十九折れに方向を変えながら少しずつ高度を下げた。

 降下点を降りはじめてから1時間ばかりして身体が蒸し暑く感じた。高度が下がり気温が上がっているのだ。いつの間にかガスも薄くなり天気は快復してきている。もう雨衣はいらないだろう。休憩して雨衣を脱いだ。

 体全体から汗が発散してすっきりし、身軽くなった。身体は軽く動きやすくなったがザックを担ぐと雨衣が荷物となって肩に重みを感じた。

 農鳥岳を出発して大門沢小屋に着いたときは午後4時になっていた。3時間半の降りは、膝の関節に負担が集中し、がくがくと音が出るのではないかと思うほどの疲れだった。

 寝床の番号札を貰うとザックを布団の横に下ろし、一人で小屋の横を流れる沢に行った。
雪溶け水が岩にぶつかり音を立てて流れている。淵の浅い水たまりに足を入れると飛び上がるように冷たかった。

 周りに誰も人がいないのを確かめ、岩の上で衣服を脱いで裸になった。
冷たい水にタオルをぬらし全身を拭いた。始めは冷たいタオルが心地よかったがあとでは寒くなった。

 ふと、下流側に目をやると近くに人がいる。腰にタオルを巻いただけのおばさんが身体を拭いていた。見てはならないところを見てしまったようですぐ目を逸らした。

 最初確かめたとき、そこには誰もいなかった。私よりも後から来たのは間違いない。それにしてもおばさんの肝っ玉の太さには恐れ入った。裸の私を男性として認めていないのかと、無視されているようで少しひがんだりもしたが、あまり堂々とした態度に圧倒され、衣服を着込み退散した。おばさんの強心臓には降参である。

 夕食は5時。ここの食堂は残飯の分別片付けはしていないようだ。収集方法の説明はなかった。ご飯もおかずも味噌汁も食器に盛られた1膳飯で、山小屋ではご飯と味噌汁はお代わり自由が常識だと思っていたら、ここは違っていた。これだけの量では満腹になるはずもなく、残すものは何もない。だから残飯の心配は必要ないのだと変に納得した。

 6時ごろには完全に晴れあがり、南の方に富士山が見えた。北岳で見ることができなかった『赤冨士』を期待してカメラを持って待機したがここでも赤くならなかった。
 外はまだ明るかったが何もすることがない。7時には床についた。沢の音が騒々しい。耳栓をして天井を眺めているうちに眠ってしまった。


大門沢小屋 大門沢小屋から眺めた朝明の冨士
 
7月26日

 良くもまぁ熟睡したものである。昨夜は7時に床に入り、今朝4時に隣の人から起こされるまで目が覚めなかった。2日間の疲れと沢で身体を拭いてさっぱりしたのが熟睡の原因であろう。

 出来るだけ音を立てないようにして出発の準備をする。昨夜のうちに今朝の弁当もザックに詰め込んでいるから布団をたたみザックを担いで部屋を出るだけでよい。
昨夜は耳栓をしていたので沢の音は気にならなかったが部屋をでると水の音が騒々しい。

 小屋の広場で靴の紐を結び気分も引き締める。

 小屋は三方が山に囲まれ、視界が開けているのは南の方向だけである。その南の曙の空に冨士がシルエットのような色をしてそびえている。黒い富士山だ。

 6人が輪になって準備体操を始めた。腰を曲げ頭を下げると冨士は『逆さ冨士』に変わった。思いがけない景色に体操は一時中断そのまま眺めていた。

 4時40分、小屋を出発。小屋から出て一旦登り、沢に降りる。肝っ玉おばさんが裸になっていた場所のすぐ横の石の間を下る。

 川に転がっている大小の石を伝わり跳ねるようにして歩いた。
丸木橋を何回も渡り、沢の右左を行ったり来たりしながら高度を下げた。

朝の弁当 吊橋は一人ずつ渡る。

 6時、沢の石に腰掛け朝飯の弁当を食べる。
 あさは暑い味噌汁が欲しい。今持っている飲み物は小屋でボトルに詰めてきた冷たい水しかない。冷たいご飯に冷たい水を飲んでの朝食は山以外では考えられない。
これが最後だ、昼は街の食堂で温かいものが食える、とあれこれメニューを思い浮かべながら我慢した。

 中年の男性が大きなザックを担いで食事をしている横を登って行った。ザックの上にはマットを包めて括り付けているからテント泊をする人らしい。この時間にここまで登って来たのだから、昨夜は奈良田の発電所あたりにでも泊ったのだろうか。

 いつも食事は慌しくかき込みすぐ出発だが、今日の行程には余裕がる。食事の時間は30分とりゆっくりした。

沢からは少しずつ離れ、ブナやカエデの山道を降る。沢の石ころの道より土や落ち葉の路が歩きやすい。

一人ずつ渡るようにと注意書きのある吊橋を3回渡った。
一人が渡りきるのに2分近くかるから、一番最後を歩いている私は10分近く待たされる。大変長く感じた。


林道終点に出て一息いれる

 林道に出たのは7時30分。樹林を抜けると谷間のうえに青空がある。青空を見上げて、この天気が昨日であったらなぁと悔やんだ。

 広い道にザックを下ろし休憩する。あと三十分で奈良田の発電所に着く。
 ゴールが見えつつある休憩は気持ちがいい。少しずつ達成感が湧いて来て鼻歌でも歌いたくなる気分である。

 奈良田の発電所まで30分かかった。ここは降りてきた林道が国道に取り付く三叉路になっていた。

 国道の向かい側が発電所、左方向は広河原へ、右に下ると奈良田温泉になる。
国道は結構車が行き交っている。しばらく忘れていた下界の騒音が耳を突いて異様に感じた。この3日間、静かな世界に暮らしていたのだとこのとき初めて思い知った。

 奈良田の方から歩いてくる女性がいる。こんなところを歩いている?付近には民家は見当たらないし、意外な感じがした。目の前を通り過ぎようとしたとき、
「すみません。お尋ねします。奈良田の町営温泉まで歩いてどのくらいかかりますか」
「男の足だったら20分ぐらいでしょうね」山岳書には確か徒歩50分と書いてあったような気がしたが、20分だと聞いて元気が出た。

 女性は国道から右に逸れ発電所の中に消えた。私たちは奈良田の方へ歩いた。2、3分も歩くと国道の左側に駐車場があり「発電所専用駐車場」の立て札があった。彼女が歩いていた理由がわかった。ここにマイカーを置いて発電所まで歩いていたのだ。

 早川の右岸沿いに国道は走っている。国道は道を拡幅中で河岸では建設機械がエンジンの音を響かせ掘削している。その音を聞きながらの歩きは心理的に暑さをあおり汗が噴出してきた。

 道は直角に左へ曲がり、50mはありそうな長い鉄橋を渡って左岸沿いに変わった。左岸は山陰になり道は涼しい。「男の足で20分」歩いたが、まだそれらしい人家は見えてこない。

 結局、奈良田のバス停に着くまで発電所を出てから30分かかった。なおバス停から左に登り、山の中腹に町営温泉はあった。

『女帝の湯』と『よくきてにー』と書いた二枚の看板がかかった入口はまだ閉まっていた。営業は9時からである。

 靴の紐を解き、裸足になった。『女帝の湯』の由来を書いた説明板などを読んで時間をつぶした。

 定刻9時にガラス戸は開いた。
 満々と溢れている大きな浴槽が二つ。腹這いになって身体を浮かし、「う、うーっ」と唸り思い切り手足を伸ばした。一番風呂は最高である。

女帝の湯で、身体の疲れも伸び放題のヒゲも落とし、念願の南アルプス『白峰三山縦走』の旅は終わった。

奈良田温泉
『女帝の湯』

  『南アルプス紀行』は5回をもって「完」といたします。
  長い間お付き合いいただきありがとうございました。

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