大台ケ原・大峰山紀行(5)


※ 背景画像は、八経ヶ岳から眺めた大普賢岳(左)行者還岳(手前中央)和佐又山(右)

行   程
5月21日  諫早〜大和上市(奈良県吉野郡大和上市・桜亭泊)
5月22日  大和上市〜大台ケ原(大台荘泊)
5月23日  大台ケ原〜和佐又山登山口(和佐又山ヒュッテ泊)ヒッチハイクで移動
5月24日  和佐又山登山口〜笙の窟〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還小屋(小屋泊)
5月25日  行者還小屋〜一ノタワ避難小屋〜弁天の森〜弥山〜八経ヶ岳〜弥山小屋(泊)

 会話の中から、この二人は山の仲間で夫婦ではないことがわかった。

 新潟から4人で来て、別の二人はいま大普賢岳に登り午後2時ごろ下山してくる。私たちは以前登ったことがあり、この悪天候で取り止め、下で待つことにした。

 その間に明日予定している大台ケ原の下調べに来たところだと言う。
 それではこれをあげましょうと、きのう使った周遊マップを渡した。これがあると助かると女性は喜んでくれた。周遊マップを渡す私の心のうちにヒッチハイクの話しを有利に進めたいという下心があったことは否めない。

 Kさんはこれからの予定をやんわりと切り出した。彼女は車の中にいる男性に聞かないと私では分からない、と言いながら車に近づいていった。

「すぐ帰るそうです」彼女はこちらを振り向いて高い声で言った。

 Kさんと私は運転席の窓を開け顔だけ出している男性のところまで小走りで近寄った。

 事情を話すと、快くOKしてくれた。男性は車から降りて後ろのドア-を持ち上げザックを詰め込むように勧めた。テント、コッヘル、コンロなどテント泊りの装備が詰まっている上にザックを重ねた。

 渡したマップを見ながら登山口を確かめたいからそこまで案内してくれないかと男性は言った。4人は車に乗り込み方向変換して登山口まだ引き返した。

大台ケ原を発ってわさび谷まで40分で降りて来た。

 この40分間の話題は、運転している白髪で大柄な男性とKさんの山の話であった。Kさんは北、南アルプス、東北の山とほとんど知り尽くしているので話しがうまく絡み合い切れることはなかった。この男性は寒い地方の人らしく冬山を楽しんでいる様子であった。中部から北海道までの山は登り尽くし、このごろは南下して関西地方まで足を延ばしているところだと言う。

 酒好きには酒さえあれば付き合いは楽だというが、山好きには山の話さえしていれば楽に時間が経っていく。もし私一人だったらこの時間をどうして過ごしただろうかと、二人の会話を聞きながら考えていた。

 国道169号まで降りて来た。ここは新伯母峯トンネルの北口になる。ここからまた車を探しトンネル南口までヒッチハイクするのだと話すと、腕時計を見て大普賢岳に登っている連中が戻ってくるまでに時間があるから、そこまで送ってあげようと右にハンドルを切ってトンネルに入ってくれた。

 このトンネルは巾が狭く照明も少なく昔の基準でできたものらしい。1
.7kmと長いが車だと5分もかからずに南口に出た。トンネルを出たところが和佐又山登山口になる。

 受け取らないと拒否する男性に、これはほんの気持ちだけ、とお金を無理やりに渡し、頭を深く下げて別れた。新潟ナンバーの車はいま来たトンネルの中に消えて行った。

 きのうから気になっていたヒッチハイクは案ずるより生むが易しで順調にきた。高い所から谷間まで降りて来たのに、気持ちは峠を越えて一安心といったところである。

 ここは山と山に挟まれた谷底で和佐又ヒュッテまで登り坂が続く。安堵した気持ちを引き締め、ザックを担いだ。予定所要時間は1時間である。

 10時10分に歩き出した。舗装された林道を谷川と並行して登っていく。水の流れが山あいに響き深山の涼しさが音で伝わってくる。橋を渡り沢と別れた。斜面を削り取り平らにした林道は九十九折れになりながら山腹に絡み付いている蛇のようだ。その様子は削り取られた山肌と白いガードレールの連続から連想してしまう。

 郵便屋さんの赤いバイクが追い越して行った。舗装された道は原始的な歩きでなく文明の力に頼りたくなる。声をかけてくれる車は来ないかと心待ちしながら登るが、登る車も下る車もまったくない。

 いつのまにか雲は高くなり視界は明るくなった。ザックの重さが肩に食い込みあえぎながら足をあげていく。ザックをガードレールに載せ、身体をずり下げ肩を休める。高速道路を走るときの風景は規格化された構造物やのり面防護で変化がなく飽きてしまうが、この林道も削り取られたのり面とガードレールがどこまでも続いて同じ所を足踏みしている錯覚を起こしていまう。変化が乏しい景色は歩いていて一番疲れる。

 歩き始めて1時間20分、やっと屋根が見えた。この屋根がヒュッテであってくれと祈りながら登ること10分、広い駐車場の入口に和佐又山ヒュッテの案内板が見つかった。

 今日はこれで日程は終わりだと思うと嬉しくなった。


和佐又山ヒュッテ

 ガラス戸を開け中に入ると、売店兼食堂になっただだっ広い土間には男一人女三人がいた。男が書類に何か書き込んでいたのでここの管理人かと尋ねると、違うと言った。今夜ここに泊る予約をしている者だと言うと「奥さんは隣の家にいるから呼んでくる」と言って出て行った。

 まもなくして管理人の奥さんが来た。夕方着く予定が早くなったことを告げ、とりあえず昼飯をつくってくれるように頼んだ。

 ここはスキーシーズンには何百人もの宿泊ができるヒュッテである。食事のメニューは壁に張り出してある。街中の食堂と変わらないぐらい種類は多い。壁を眺めていると「うどんかカレーしかありません」と先手を打たれた。

 スキーのシーズンオフのいまは、開店休業の状態で食材をそろえていないのだ。Kさんと二人ぶんのカレーを注文した。

 4人は下山してこれから帰る準備をしているところであった。女性の3人は快活な人たちであれこれと話しかけてきた。それは目的を達した満足感から饒舌になっていたのかもしれない。

 私たちの行程を聞いて、ルートがほぼ同じであるとわかると、石の鼻付近は石楠花が綺麗だ、行者還小屋の先にヤマシャクヤクが咲いているから見落とさないように歩きなさい、行者還の無人小屋に泊るのか?あそこは入口の戸が壊れ床は傾き蜘蛛の巣が張っている、それに毛布は汚くて着られたもんじゃない。

 弥山小屋の食事は悪い、味噌汁は即席で、おかずもレトルトで美味しくないからここから梅干・漬物を持っていったほうがいいよ。などなど良いこと悪いこと何でも情報を提供してくれた。

 4人がマイカーで大阪に帰ってすぐ、カレーができたと炊事場から声がかかった。ここはすべてセルフサービスである。

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