大台ケ原・大峰山紀行(2)


※ 背景画像は、八経ヶ岳から眺めた大普賢岳(左)行者還岳(手前中央)和佐又山(右)

行   程
5月21日  諫早〜大和上市(奈良県吉野郡大和上市・桜亭泊)
5月22日  大和上市〜大台ケ原(大台荘泊)
5月23日  大台ケ原〜和佐又山登山口(和佐又山ヒュッテ泊)ヒッチハイクで移動
5月24日  和佐又山登山口〜笙の窟〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還小屋(小屋泊)
5月25日  行者還小屋〜一ノタワ避難小屋〜弁天の森〜弥山〜八経ヶ岳〜弥山小屋(泊)
5月26日  弥山小屋〜狼平〜栃尾辻〜天川・川合〜バス・電車・新幹線で諫早へ


 手間取る私に運転手さんは「もういいです。乗ってください」と声をかけて早く乗るように促した。「すみません」と頭を下げて乗り込んだ。

バスは20人も乗れば満席になる小型である。バス停のおじさんが座席に座っている人数を「1,2,3、・・・」と数えはじめ17で止まった。「今日夕方このバスでまた下りる人は手をあげてください」と言った。5人が手をあげた。「このバスは終点まで1時間45分かかります。途中は止まりませんからトイレは今のうちに済ましておいて下さい。」「料金と番号札は降りる時に料金箱に入れてください。両替は車内で出来ません。今のうちに駅で小銭に替えておいてください」と細々とした注意がなされ、のんびりとしたなかにユーモアのある出発風景であった。

バスは吉野川の上流に向って谷間を縫うようにして進んだ。工事中の大迫ダムを下に眺めながら、あるいは幾つかのトンネルをくぐって新伯母峰トンネル入口まで来た。

ここで黄色のヤッケを着た男性が一人乗り込んできた。空きの座席はなく、わたしの横の補助椅子を倒し私と並んで座った。

これから大台ケ原ドライブウエイになり、曲がりくねった細い道をバスはエンジンを噴かせながら急坂を登りはじめた。大台ケ原までこれからまだ45分はかかる距離である。

隣に座っている黄色のヤッケの男に、
「どちらに登って来られました?」と話しかけた。低い声で山の名前をいくつか挙げてくれたが聞き取れなかった。ここ数日天気に恵まれ助かったことなどを話してくれた。

いつも単独行をしているのかと聞くと、相棒がいなくなってからは一人で登っていると答えた。「相棒がいなくなってから」と言う表現が気になったが初対面の人に突っ込んだ事情を問うのもどうかと思って、話題を変えた。私の予定や相手のこれからの日程を語り合った。

天気が下り坂になっているので、今日中に大台ケ原から大杉谷を下り宮川に降りる予定だと言った。かなり健脚の人らしい。話しながら横顔を見るとごま塩のひげが伸び放題だった。

バスは伯母峰峠園地で停まった。出発時にはバス停のおじさんはノーストップと言ったが若い運転手さんは親切に停め、トイレ休憩をとってくれた。曲がりくねって来たために方角はわからないが谷間の向こうに三つの峰が尖がっている山があった。乗客の一人に尋ねると、あれが明後日登る予定にしている大普賢岳だった。あの山が大普賢岳か、とあまりの険しい山容に怖じ気ついた。

トイレタイムで休憩 あの険しい山に登るのか

バスは定刻の11時14分大台ケ原駐車場に着いた。雲は低く垂れ込め遠望はなかった。

売店の食堂でうどん定食を注文して午後からの山歩きに備えて腹ごしらえをした。

食堂で回遊コースのマップを貰って店を出た。

これまでバスのなかばかりで外気に触れなかったため感じなかったが、歩き始めて2、3分もすると空気を冷たく感じた。5月下旬とはいえ、標高が1500mもあれば下界とはかなりの温度差である。

今夜泊る宿にザックを預け、サブザックに雨衣、ヘッドランプ、水筒、カメラなどの最小必需品を詰め込んで身軽な出で立ちにした。まだ正午前である。

明日の帰りのバス時間である午後4時15分まで大台ケ原で過ごさなければならない。東大台コース、西大台コースの両方をゆっくりと廻っても充分すぎる時間だ。

しかし、気持ちは落ち着かなかった。午後から明日にかけての天気の崩れが心配だった。下山するバスは明日の午後4時15分の1本だけしかない。それまで雨の大台ケ原でどう過ごすかである。

Kさんと相談した。今日中に東大台コースを廻って、明日は天気次第で西大台コースを歩こう。雨になった場合は、朝から車を探してヒッチハイクでわさび谷まで下山し、国道169号からまたヒッチハイクで1・7kmの新伯母峰トンネルを抜けトンネル西口に行こう。次の宿泊地和佐又ヒュッテまでは歩き、早めに宿入りすることにしよう。

方針は決まった。では出かけるか。             


東大台コース出発点

次回につづく

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