黒部源流へ (7月27日 ワサビ平小屋泊まり)
                                        写真は文末にあります

朝3時半頃から部屋を行き来する足音がしてきた。私は床のなかでだいぶ前から目が覚めていた。今日の出発は5時だからまだ起きるには早すぎる。

床のなかで考えつづけていた。今日の天気はどうだろうか。昨日雲に隠れて見えなかった笠ガ岳は今日見られるだろうかと・・・・。

小さな窓が明るくなりかけてきた4時過ぎ床を抜けて外に出た。

外のベンチでは3人が出発の準備をしていた。空を見上げると白くなりかけた空に星の光はまだ残っている。心配していた天気は大丈夫のようだ。風はないが半袖のシャツでは涼しさを通り越して寒いといった表現が当てはまりそうな気温である。

南の方向には雲海が横たわっていた。乳白色の雲の上に三角形の黒いものが浮いている。九合目ぐらいから頂上までの「笠が岳」である。「この山ほどその名に忠実なものはない」と深田久弥は評したそうだが確かに笠の形をした美しい姿である。

眺めているうちに三角形が小さくなっているのに気付いた。

雲海が湧きあがっていた。写真を写すにはまだ明るさが不足していると時間を稼いでいたがそれまで待っていたのでは笠が岳は隠れてしまいそうである。

シャッターを押した。写っているかどうかその場で確かめられるデジカメはこんな時に便利である。が結果は真っ黒な画面だった。肉眼でこれだけはっきりと見えているのに安物カメラの悲しさである。

約束の5時に全員ザックを持ってベンチに揃った。そのときには笠が岳の姿はなかった。

山荘で働いている若い娘さんたちに見送られ、手を振り出発したのは予定を10分遅れの5時10分であった。テント場に着くと大きな水槽からあふれ出る雪解け水を掬って飲んだ。五臓六腑に冷たさが染み渡り生気が湧いてくる。ペットボトル、水筒、ポリ容器と思い思いに水を詰めた。

Eさんが「腹が減って歩けない。少しだけ食べるから待ってくれ」と言い出した。朝飯は弁当を昨夜作ってもらい、ザックの中にある。予定では祖父岳中腹で雲の平を見下ろしながら食べることになっていた。しかし、歩けないと言われては打つ手はない。皆黙って待った。

祖父岳山頂方向と黒部源流に向かう分岐に着いたのは6時、太陽は祖父岳から顔を出し正面から照りつけた。まだ暑さは感じないがまぶしくて帽子で光を遮った。

ここで朝食にする。登ってきた方向を振り返った。出発するまで快晴だった雲の平は雲海の下になっていた。雲海の向こうには薬師岳が朝日に輝いて浮いている。その右には赤牛岳、水晶岳と昨日見た形とはまったく違った姿で雲海の上にそびえている。

雲海に浮かぶ薬師岳を写真に収め、次に赤牛岳と水晶岳を写そうとシャッターを押した。だが枚数オーバーでシャッターは切れなかった。

高画質にセットしていたため48枚しか撮れなかった。

腹ごしらえをして黒部源流に向かって歩き出した。ここは祖父岳の中腹を巻いて通る平坦なコースである。一面に広がるハイマツを眺めながらの気分は最高だ。右手には黒部五郎岳のカールが朝日をまともに受けて雪渓がまぶしく跳ね返ってくる。行く手前方に笠が岳の頂上がいつのまにか姿を見せていた。全員足を停め、笠が岳をバックに集合写真を撮った。

第二雪田に差し掛かるとコースを逸れて、下が空洞になった雪の上をヘッピリ腰で歩いて楽しんだ。次の第一雪田は雪がなくガレ場になっていた。川原さんが7月はじめにここを通ったときはまだ一面の雪であったそうである。毎年雪が解けてしまう時期が早まっていくようだ。地球温暖化の影響ではないかと川原さんは嘆いていた。

ここを通り抜けると急坂の降りになる。足元がガレ場で足元を確かめながらゆっくりと下りる。深い谷底が遥か下に見える。谷は鷲羽岳と祖父岳の裾野の合流点になる。ここから二つの山を見上げると昨日まで見ていた山姿は上部の三分の一で、残り三分の二は裾野で何処までも下に伸びている。

裾野の合流地点が沢で、祖父岳とワレモ岳の鞍部方向から集まった湧水は水量も多く流れが速い。飛び石伝いに渡りながらここが黒部源流か、と地標を探したが見つからない。沢を通り過ぎ、鷲羽岳の裾野をしばらく登った所に別の沢があった。ここの水量も多く音をたてて流れている。

 この沢が黒部源流だそうだ。その沢を横切って一段高い広場に赤味がかった御影石に「黒部川水源地標」と彫り込んだ立派な碑が建っていた。この広場でザックを降ろし、沢まで引き返した。顔を洗うとすっきりと全身が引き締まった感じがする。カップで2杯も飲んだ。美味しい水だ。

ここの水が黒部ダムに注ぎ、ゲートから放流されるときには飛沫となって虹を作るのかと、数年前にダムの上から眺めた虹の光景を思い浮かべた。

再び歩き出したが路は湧水で何処まで行っても水浸しだった。澄み切った水面を踏んで歩くのは、水を汚しているすようで申し訳ない気がした。

ここで常に右方向に見えていた黒部五郎岳とお別れだ。三俣蓮華岳の斜面に隠れてしまう。これから三俣山荘までしばらくの間視界が開けない谷間の坂を登ることになる。

 


  雲海の下になった雲の平、遠望は薬師岳

  祖父岳中腹からの笠が岳(小さな三角形)
         第二雪田に立ち寄る(雪の下は空洞)

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