雲の平散策     (7月26日雲の平山荘泊まり)
                             写真は文末にあります。

かまぼこ形の赤い屋根は雲の平山荘である。祖父岳から見下ろすとすぐ近くのように見える。ケルンを通り抜け、ガレ場の坂を下り始めてみて、山荘までのコースタイムが40分になっているのが理解できた。溶岩みたいな黒い石を伝っての降りは意外と時間がかかる。この調子だと40分はかかりそうだ。

黒部源流に向かう方向と祖父岳への分岐がこの急坂のほぼ中間ぐらいで、なお雲の平の台地までは同じような岩塊を伝って下りなければならない。分岐から台地の裾野までは見渡す限りのハイマツの世界である。ここが日本庭園だ。   
 父娘らしい一組が日本庭園を眺めながら昼食を摂っていた。こうゆう情景に出会うと私もやってみたいなぁ、と柄にもないことを考える。羨ましいかぎりである。

坂を降り緩やかな台地に辿り着くあたりで、岩とハイマツと草原がほどよく調和してくる。路は土になり湿地の所もある。テント場までやってくると大きな黄色のタンクから水があふれ、通り道を横切って流れている。ここから先は小屋まで最後の登り坂になる。

雨が落ちたのは昼食時のわずかな時間で、そのあとは少しずつ雲も明るくなってきた。どうにか今日1日は雨から逃れられそうである。

雲の平はゆったり、のんびりと楽しむのがコツだそうである。雷岩でザックを降ろした。肩が急に軽くなり歩くバランスが狂い木道を踏み外しそうになった。スイス庭園のベンチまで平坦な木道をゆっくりと歩く。

突端のベンチに座った。岩苔小谷を隔てた正面に水晶岳が、その左側には赤牛岳が大きく横たわっている。眼前に迫った雄姿にただただ圧倒され見惚れた。

水晶岳は別名黒岳といわれているとおりグーレーで黒ずんだ山だ。赤牛岳も赤牛そのものの色をしている。鷲羽岳から見た水晶岳は巾が狭く尖った姿をしていたが、ここからの姿はワレモ岳から緩やかに稜線が伸びて赤牛岳へと緩やかに下りている。ここからの眺めを正面とすれば、鷲羽岳からの形は側面とでも表現してよさそうだ。

3日間かけてここまで辿り着けた仲間達は、それぞれに感歎の声をあげた。そのうちに黙り込んでしまった。ベンチに座ったまま正面を眺めている。心のうちでは何が去来しているのだろうか。私は正面のどっしりした水晶岳の素晴らしさに、今回思い切って登っておきたかった、という思いでいっぱである。未練がましく思わせた原因の1つは回復してきた天気のせいでもある。

ザックを降ろした所に引き返し、山荘へ向かった。コバイケイソウは高山植物にしては大型の白い花である。ギリシャ庭園はこの花がいたるところで白く群がって咲いていた。

13時半に小屋入りの手続きをし、指定されたベッドにザックと置いて再び小屋を出た。小屋正面をとんとんとくだり木道を左に折れて少し歩き、そこでまた左に曲がった。ここからは緩やかな登りになる。木道の周りは右も左もハイマツと苔と草花の世界である。木道が切れ岩を跨ぎまた木道を歩く、この繰り返しで左手に明るい草原が開けるとそこはアルプス庭園である。行き止まりになった広いベンチには7、8人の女性グループがいた。

うしろの空いたベンチに座った。ギリシャ庭園越しに雲の平山荘の赤い屋根、その先には緑の台地がゆったりと広がっている。一段と高い位置には先ほど降りてきた祖父岳がある。ワレモ岳から見下ろした祖父岳とはまったく違った形の丸味をおびた柔らかな山である。

右手には黒部五郎岳、笠ガ岳、槍ヶ岳の名山が眺められるはずであつた。あいにくの曇り空で見えたのは一番手前の黒部五郎岳だけである。それも雲がかかり全容はなかなか見せてくれなかった。

別日程で先に出発していた二人とここで出会った。今夜は一緒の泊まりになる。同じ諫早の住人で元会員という気安さから話が弾み高い声になる。

先着の女性たちは関西訛りで静かに話していた。この人たちに諫早弁丸出しの掛け合い漫才みたいな会話が理解できただろうか。「みんなで渡れば怖くない」的な雰囲気で周りを気にしない大胆さは何処から生まれてくるのだろうか。山の雄大な雰囲気に感化され、おおらかな気分になってしまってのだろうか。

もと来た道を引き返し、奥日本庭園を通りアラスカ庭園まで散策して山荘に戻ったのは5時前だった。

今夜は一緒に飲もうと、三俣山荘から雲の平山荘までわざわざやって来てくれた川原さんと外のベンチで久し振りの酒宴を開いた。ビールと酒はこの山荘で買った。つまみは魚の缶詰、裂きイカ、ピーナツ、ソーセイジ、その他いろいろである。今夜一晩一緒になる元会員のDさんがこのつまみを食べながらこんなことを話した。

今朝早く、水晶岳に登って雲の平山荘に着いたのは正午前だった。ベンチで休憩している若い女性4人組と話しをしているうちに、予定を終わり帰るので準備してきた非常食はもういらない、ザックを軽くしたいから貰ってくれと、これを全部置いていった。今夜たぶん飲み会が始まるのじゃないかと思って喜んでもらったものだから遠慮しないで食べてくださいと・・・。

ありがたい話である。見知らぬ女性に感謝しながらいただいた。長袖のシャツ一枚では寒い、部屋に戻り厚手の上着を着た。夕食時間の知らせで食堂にはいった。 私達のグループは別のテーブルに準備がしてあった。隣のテーブルにはない野菜のてんぷらが大皿に山盛りで二皿もある。川原さんと同じサークルだということで山荘からの差し入れであった。今夜は思いがけない差し入ればかりで大満足である。気分よくはしゃぎたい気持ちだがここは山小屋の集団生活である。ぐっと堪えベッドに戻る。

これまでの二晩は幸いにも私達のグループだけの部屋だった。気兼ねなく諫早弁で夜遅くまでしゃべっても気にしなくて良かった。しかし、今夜はそうはいかない。上下二段になったベッドが40ばかりある。もうすでに別のグーループは床の中である。ヘッドランプを点け明日の準備にかかるがビニール袋の音が以外に響いて遠慮しながらのパッキングにはてこずった。 夜8時、下界にいると寝るには早すぎる時間だか仕方なく山の掟()に従って、明日を迎えることにする。


    スイス庭園から赤牛岳を望む

    雲の平山荘手前のコバイケイソウ

   ギリシャ庭園に咲くチングルマ

   

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