北アルプス紀行・雲の平周辺の山々

        H13・7・23〜7・28 パーティー(7名+会員外1名)

   山行地 双六岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、水晶岳、雲の平、黒部源流


ワサビ平小屋まで (
7・24日ワサビ平小屋泊まり)

思いのほか、北アルプス挑戦の機会が早くやってきた。
 二年前山歩きを思い立ったころ、日本アルプスに登ってみたいという夢(願望)はあったが、おれには無理だという諦めが先行して、それはちっぽけな夢に過ぎなかった。
 
山登りはまったくの初心者、歳をとり過ぎている、この二つがネックとなって「里山を楽しく歩けばそれだけでよい」と消極的だった。

だが先輩たちの尻から付いて行くうちに、持久力もつき何とか歩くコツを覚えた。人間は欲深い動物である。頑張ればアルプスに登れるかも、と夢は膨らんできた。

二ヶ月前、双六岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、水晶岳、雲の平を歩く計画が企てられた。これまでの鍛錬の結果を試すよい機会ではないかと思い、真っ先に手を上げた。

これまで漠然と里山を歩いていたが目標ができると気合がちがう。まだ見知らぬ地形を想像してアップダウンの険しい所を選び、水を入れたポリ容器を背負い往復1時間の山道を1日に2回、3回と往復した。

先輩たちの話では、アプローチが長く標高差1,800mを1日かけて登るのだと聞かされた。近くの山はもちろん、九州の山にはそれほど長いアプローチの山は見当たらない。1日歩き続けるには同じコースを何回も繰り返すしかない。

3回往復すれば3時間、これぐらいならまぁー何とか我慢もできる。昼食を採り、ひと休みすると午後からは気分が乗ってこない。体の疲れからではないが同じところを何回も行き来する単調な繰り返しが精神的な苦痛となり、やる気を殺ぐのである。結果的には意志の弱さからトレーニングは半日で終わってしまうことが多かった。

7月23日夜、寝台特急「あかつき」に乗り込み、翌朝、新大阪で特急「ひだ23号」に乗り換える。岐阜を過ぎ美濃加茂あたりになると飛騨木曽川国定公園になる。山裾と川の縁を縫うようにして電車は高山へ向かう。急流を流れる水は岩と岩にぶっつかり白い入道雲のように盛り上がりながら先を急いで下っていく。ダムに堰き止められた水は蒼い水面を微動だにしないで夏の太陽の光を反射させている。一体水の正体はどちらなのか、静と動の余りにも大きな違いに戸惑う。人間が善悪を持ち合わせているように水も正反対の二面を持っているのであろう。こんなことを考えながら車窓を眺めているうちに定刻12時10分JR高山に着いた。

バスセンターに行ってみると15分の待ち合わせで新穂高温泉ゆきがある。乗り場にはすでに5,6人の乗客が並んで待っていた。

ここで昼食を摂り一息入れてバスに乗るつもりであったがそのまま新穂高温泉まで直行するとのリーダの指示で、5,6人の列のあとにリュックを降ろし並んだ。出発の時間になると40ばかりの座席は満席になった。そのうち半分は山に登る乗客のようである。
 
 高山はこれで二回目になる。バスの中から川沿いの朝市のテントを見ては、朝早くホテルを出て散策した当時のことを思い浮かべ、また古い街並み通りに差し掛かかると人力車を思い出した。あっという間にバスは市街地を抜けてしまった。

登りつめていたバスは長いトンネルに入った。そこを抜けると下り坂である。山の斜面から突き出したコンクリート橋脚がループになった橋桁を支えている。

バスはその橋桁の上をエンジンの音を弱めながらゆっくりと降りて行った。辿り着いた所は平湯温泉の街であった。腕時計を見ると高山から1時間かかっている。

バス終点の新穂高温泉には平湯温泉から30分で着いた。

バスから降りた途端、涼しいと感じた。幾分強い風が吹いて店の幟旗がひらめいている。山から降りてきた谷風は雪解け水の冷気を運び肌を撫でてくれたのである。

バスターミナルの二階が食堂になっている。階段を登り、だだっ広い食堂を見渡すと夫婦らしい二組のお客がいた。お客が少ないのは昼食の時間から2時間も過ぎているからに違いない。

今日の予定はここから歩いてワサビ平小屋までである。時間にして1時間半の行程。まず腹ごしらえをしなければならないが何を食べるか。いま満腹になると夕食まで4時間しかない。山小屋の食事をおいしく食べるには軽く済ましたほうがよさそうだ。

かつドンが欲しかったが我慢して月見うどんにした。食券を自動販売機で買ってカウンターに差し出す。換わりに番号札をくれた。7人が一度に注文したので調理人が勘違いしたのか、6人の料理は出てきたのに私の注文した料理がなかなか出てこない。催促してみると貴方のはそれではないかとテーブルに置いてある山菜うどんを指差した。「それじゃこれでいいや」と言ったが、月見うどんを作り直しますからと律儀に作り始めた。

腹ごしらえが終わると靴の紐を結び直しリュックを担いで出発の準備である。

山から下りて来て碑の前で休憩している私と同年輩の男性にシャッターを押してくれるようにお願いした。快く引き受けてくれた。「中部国定公園」の大きな御影石の前で全員ならんだ。4日後再びこの笑顔でここに戻ってくるようにと心の中で願った。

蒲田川に架かる橋を渡り、旅館と駐車場の間を抜けて一般車両の立ち入りを制限するゲートまで来ると大きな木が茂った樹林帯になる。その樹林帯はすぐに切れ、対岸の大規模な砂防施設を眺めながら林道を登っていく。

ワサビ平小屋で合流することになっている女性が途中まで迎えに降りてきてくれた。この人は元わがハイキングクラブのメンバーで現在は神奈川県に住んでいる。あまり早く着きすぎて小屋で退屈したから迎えにきたのだと言った。

整備された幅広い林道を1時間歩いて今日の目的地「ワサビ平小屋」に着いた。

夕食は1時間後の5時半からだ。翌朝は5時出発である。それまでに明日からの本格的な登山に向けて装備の再チェックとパッキングに取り掛かる。最後はこの小屋に戻ってくるのだから不要なものはここに預かってもらおうかと誰かが言い出した。山小屋の主人は名前を書いた袋に一まとめにするならば預かってもよいと承諾してくれた。

思い思いに置いていくものを選び出していたが、わたしは最小限のものしか入れていないので何も置いていくものはない。

小屋の前の渓流が飲料水の補給場所になっている。ポリ容器とベットボトルをもって水汲み場に行った。ペットボトルを水に浸けた。冷たい!瞬間手を引っ込めた。痛くて1分間も手を浸けておれない。500ミリリットルボトルを満杯にするのに3回も水中から手を上げた。ザックに水を詰め込むとあとは朝食の弁当を詰めるだけになった。これで準備完了。

食前に明日からの健闘を祈願して缶ビールで乾杯。食事が終わると後はすることがない。消灯は9時だという。8時には誰もが無口になり床に横たわっている。たぶん明日からの期待と不安を交錯させているのであろう。

私は案外神経質で夜の物音に敏感である。一度目覚めるとその後の寝つきが悪い。そこでキャンプ用に耳栓を常に持ち歩いている。その耳栓を詰めて今日の1日が終わった。

          山汗記に戻る