梅雨の黒髪山(くろかみさん)

516m 佐賀県西有田町・有田町・山内町境)      

H13・7・13  7

 子供のころ、山の名前を知っていたのは三つの山だけだった。
 暮らしのなかで一日に何回となく見る正三角形の山「泉山」(佐賀県・嬉野町)、少し遠出をした時に見える虚空蔵山(佐賀・長崎県境)、この二つの山は、この目で見て覚えたものだった。

しかし、「黒髪山」は見たことはなかった。住んでいる所から30から40キロメートル離れた佐賀県有田町にあったからである。見たこともない山の名前をどうして覚えたのか、それは以前から新聞やラジオで山開きの様子を知らせていたからである。佐賀県は高くて有名な山は少なく、特に県の西には高い山はなかったが変化に富んだ奇岩の姿から「黒髪山」はこの地方では有名な山になっていた。

近年、中高齢者の登山ブームで「黒髪山」は日帰りできる身近な山、何処からでも登れ、技量に応じてコース選択ができる山として、福岡、熊本など近県からの登山者も増えているという。

この名前だけは60年も前から知っていた山、「黒髪山」に今日やっと登る機会がやってきた。

五ヵ所ある登山口のなかで大駐車場のある龍門ダム登山口を選んだ。ここから見返峠までのコースは渓谷を右に左に渡り、水の音を聞きながら楽しめる。

諫早からここまで来る間にも、かなりひどい雨がときおり降った。昨夜からの大雨警報はまだ解除になっていない天候である。登山口に着いたときには少し明るい空模様に変わり、雨は上がっていたが雷が近く、遠く鳴っていた。

雨衣を着込み出発する。
 梅雨時期の沢は水量が多く流れは激しい。自然遊歩道になっている道は自然石が敷きこまれた石畳である。丸味をおびた石畳は雨に濡れて滑りやすい。石畳を避けて縁の土の部分を登った方が登りやすくて安全である。山全体が水浸しといった状態で地面の何処からでも水が流れ出ている。沢を渡る飛び石も水に沈み、浅瀬を選んで渡った。

見返峠に登り着いたのは11時だった。標準コースタイムより20分遅れだ。これは滑らないように安全第一でゆっくり登ったからであろう。今日はサブリーダーとして先頭を仰せつかったが、今月下旬計画している北アルプス山行に備え、装備一式をリュックに詰め込み日帰り登山の倍近くの荷物を背負っている。いつも最低の装備で楽して登っているつけが、スピードダウンとなり鍛錬不足を如実に現したようである。

ここで栄養、水分補給をして一息入れた。右に進むとしばらくは尾根伝いの緩やかなアップダウンである。夫婦岩展望台に出た。登山口からここまで潅木の茂る樹林の下を登り視界は開けなかった。それだけに梅雨空とはいえ、ぱっと明るい視界が開けたときには晴れ晴れとした気分になった。

雨はあがり雄岩、雌岩の姿が目の前に大きく立ちはだかっていた。この様子だと天気は回復に向かっているのではないかと望みを持った。

コースから少しわき道に入り雌岩に立ち寄った。山頂の岩肌が湿っており、途中まで行って少年自然の家、宮野の集落を眺め引き返した。

比較的緩やかだった道はだんだんと急になり岩場に変わる。鎖場、梯子が眼前に立ちはだかり、鎖も、ロープも、梯子も濡れている。この悪条件で全員無事に登れるのかと思った。まず私が足場を確かめながら小刻みに一歩一歩足を上げた。登り終わってみんなが登りきるのを待った。ゆっくりではあるがトラブルもなく全員が通過したときほっとした。あとになって、怖気ついていたのは私だけだったのかもしれないと思った。

山頂は岩肌が露出して視界はよさそうであるが残念ながらガスがかかっていた。

この悪天候では登山者は私たち以外にはいないだろうと話しながら登ってきたが、男性二人が昼食を摂っているところだった。時計を見ると12時5分である。
 その二人は食事が終わったから、と言って場所を譲ってくれた。二人は会社を休み福岡からやって来たそうである。ザックをおろし、弁当を取り出しているとガスが切れ、有田ダムと有田の街が現れた。その時、やはり登って来てよかったと思った。下を眺めていると満足感がじわじわと湧いてくる。

この瞬間を写真に収めようかとカメラを取り出したが、もう少し待てばもっと視界が広がりよい景色が撮れるかもわからない、と欲を出し昼食後にまわした。

雨は降らなかったが雲は低く雷が横から聞こえてくる。再びガスがかかった。
 食事が終わるころ雨が降り出した。傘を差し小止みになるのを待った。福岡からきた二人は先に下りて行った。雨脚は強くなり雷が鳴り出した。この雨はだんだんと強くなり、登山口に降りるまで降りつづけたのであった。

ガスの切れたあの瞬間に、有田ダムの美しい景色を収めておけば良かったと悔やみながら下山した。
 さすがは陶器の街だ。山頂の岩には陶製の説明版が埋め込まれている。晴天の日にもう一度訪れたい山である。

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