無心で登る

 1999年9月5日のNHKスペシャルは、「心の行・熊野奥駆け」という大峰山脈を七日間で踏破する修験者たちの姿を放映していた。みなさんのなかにも、まだ記憶に残っておられる方もあるだろう。

 私はその画面を見ながら、オレンジハイキングクラブに入会して初めて参加した『宝満山』山行の場面と重ね合わせていた。

 150キロメートルを七日間で踏破する修行の第一日目は、午前2時に起床、3時に出発、24キロメートルを13時間歩き続ける難行苦行である。「懺悔、懺悔」、「六根清浄」とかけあいながら急坂を登り下りする修験者の姿は今でも浮かんでくる。

 私は、「ハイキングクラブ」という名称から、山野など自然を楽しみながらゆっくりと歩く仲間の集まりだろう、ぐらいの軽い気持ちで入会した。そして宝満山の山登りに参加したのである。が、湿った岩みちあり、「百段がんぎ」の急な石段ありで、滑りそうな岩に脅え、果てしなく続く石段に息は絶え絶え、膝は痛み、座り込みそうになった。予想もしない山登りだった。

 自然を楽しみながら歩く?、そんなゆとりはどこにもなかった。この調子では頂上まで登れるだろうか、と心配は募るが途中で引き返すわけにはいかない。みんなに迷惑をかけないよう付いていかなければ、とただその思いだけで足を運んだ。

 熊野奥駆けの修験者たちは「六根清浄」を唱え、目、耳、鼻、舌、身、心の六欲を断ち、清らかな身になるために懺悔しながら修行をしている。しかし、そのなかの一人が体の不調から初日にして、このまま続行するか下山するかの決断を自らしなければならなくなった。

 翌朝、彼は下山を選択し、出発する仲間を玄関で見送った。見送る彼の淋しそうな姿から無念さが伝わってきた。たぶん、昨夜は一晩中悩み葛藤したであろう。しかし、続行すれば仲間に迷惑がかかると身を引いたに違いない。

 私も「百段がんぎ」でへばりそうになったとき、もし明日も山行が続いていたなら、これ以上仲間に迷惑はかけられないと、下山を申し出ていたと思う。彼の心中も私のあの時の心中も同じではなかったのか、とテレビを見ながら思った。

 修行から四、五日が経ったころ、修験者たちは「自然の中に生かされているという感じがしてくる」、あるいは「人生を歩み直せるような気がする」、また「すべてを忘れ無心になれる」と難行苦行のなかから得たそれぞれの感想を語っていた。

「すべてを忘れ無心になれる」という修験者に私は共鳴するものがあった。私は宝満山の六合目あたりから、仲間に迷惑をかけないように、疲れも不安も愚痴も忘れ、頂上をめざし足を引きずり登り続けていた。あのときは、すべてを忘れ無心で登っていたのだとあとになって気づいた。

 私の山登りは「心の行」ではないから堅苦しく構えなくてもよい。しかし、頂上に立って下界を眺めていると、一瞬、また無心の境地になれる。その度合いは、登りつくまでの苦しさに堪え忍んだ度合いに比例するようである。

 たまには気力体力の限界に挑戦し、無心で登ることも必要かもしれない。

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