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新春エッセイ



繰りあい箸


新しい年がよい年でありたいと願うのは、いつの時代になっても変わらないようである。神社やお寺の初詣をはじめ、各家庭でのささやかな縁起ものの飾り付けなど昔ながらの行事は数えきらないほどある。

しかし、長年続いてきた伝統行事は、利便性と経済性を追求するあまり置き去りにされ消えようとしている。

55年前、私が小学5年生のころを振り返ってみると、冬休みは、正月という行事で子供には楽しみがいっぱいあった。新しい足袋や下駄を買って貰い、ときには服を新調して貰う年もあった。しかし、なんといってもお年玉は最高の楽しみであった。

待ちにまった正月ではあるが高学年になると、子供に応じた正月準備を手伝わされた。まず男の子は手習いを兼ねて餅つきを憶えることであった

一軒の家で二斗(30キログラム)、三斗搗くのは普通で大所帯のところでは一俵(60キログラム)搗く家庭もあった。

夜が明ける前から搗き始めて昼過ぎまでかかった。一俵も搗く家では一日仕事である。親達にとっても餅つきは重労働であるから男の子には少しでも早くから搗き方を覚えさせ手助けしてもらいたかったようである。

杵を握り締めた手の平にはいつのまにか血豆ができて潰れることもあった。

柔らかな手に赤く滲んで傷む血豆の思い出はいつまでも消えないで残っている。

子供に与えられていた年末のもう一つの仕事は、正月三日間使う箸を作ることであった。

山に行き栗の枝を切ってきて箸を作るのである。このときは何時もポケットに忍ばせている肥後守(折りたたみ式小刀)が活躍する。

子供の冬の遊びは、山に鳥罠を仕掛けたり、目白捕りなどいつも山が遊び場であった。子供たちは近所の山はもちろん隣村の山まで詳しく知っていた。

箸を作る栗の木は大きな樹より、株立ちした背丈の低い笹栗の枝がよい。子供たちはその笹栗が何処にあるか普段の遊びのなかで覚えている。

子供のいない家では大人が早めに採り、目当ての山に行っても、すでに枝は切り取られたあとで、子供たちは次の場所に移動する。次つぎと遠い山を探して歩くことになる。それはそれで楽しい山遊びでもあつた。

何時もの仲間が集まると、遊び心が先になり、箸の材料探しよりも、急坂を競争して登ったり、口笛を吹いてメジロを呼び寄せたりと遊びに夢中になる。

 冬の空はどんよりと曇っていて太陽の傾き具合は分からないが子供は自分のお腹の減り具合で時間がわかった。

「少し遊び過ぎたようだね。栗の木を探そうか」先輩のお兄ちゃんは皆に声をかけ遊びをやめる。

これからあちこちと探し歩いていては日が暮れてしまう。はじめのうちに採った枝は真っ直ぐで太さも箸に手ごろなものだが、遊びすぎて時間がなくなると少し曲がっていても大きくてもとにかく必要本数を確保することに夢中になった。

じいちゃん、ばあちゃんから孫までが一緒に暮らす三世代家族が多かった時代である。家族10人前後という家庭は何処にでもあった。

 家族の人数分だけでも10組20本の箸が要る。それに取り皿用の箸として余分に5組は作らなければならなかった。

 どうにか本数だけは辻褄をあわせ夕方家に戻った。

 とりあえず材料だけ取り揃えておけば一安心である。

 じいちゃんたちは孫がいつ箸を仕上げるか気になってはいるが大晦日まで知らん顔している。大晦日の朝ご飯のとき「箸はできているか」何気ない顔して爺ちゃんは催促する。

 小さな声で出来ていないと返事すると「今日は朝から作れ、出来上がるまで外に遊びに出てはならん」

 何時もは優しいがときには厳しい祖父に変身する。めったに叱られることがないから怖くて黙り込んでしまう。

 元旦の朝、お膳に並んだ栗の箸は行儀が悪い。一本は真っ直ぐでも片方はそり返って反対方向を向いていたり、二本とも背中合わせに外側を向いて対になっていない。

 どんなに格好悪くても使い難くても、これが縁起ものの『繰りあい箸』である。

 二本の栗の木を一組の箸としてうまく使いこなすことから この一年間をうまくやり繰りして何とか治めようという縁起担ぎである。

『栗と栗が合う』すなわち『繰りあい』というこじつけから始まった行事であるに違いないが、私が作ったこの『繰りあい箸』は使いこなすのに一苦労する代物で、親達は一年中やり繰りに苦労していたようである。

 自分で作った箸の使いにくさに、こんなもので食べなくてもと投げ出したくなったが、祖父から弟たちまで家族全員が正月の三日間我慢して使ってくれたのは、正月というおめでたい雰囲気を大事にしたからだと大人になってから分かった。。


繰り合い箸

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