投稿者 鶴 日時 2002 年 7 月 25 日 05:55:45:
列車はストップ(浦上駅と市布駅の間の駅の名前を忘れました)。 そのまま一夜を汽車の中で過ごすはめになりました。 翌朝、他の乗客と一緒に暗くて長いトンネルを歩き無事トンネルを抜けた所で救助員の方々から8歳の娘に「坊や良くがんばって歩いたね。」とお褒めの言葉を貰ったのが思い出されます。 あの駅での炊き出しに付いてきた飴色をした「らっきょう」が美味しかった!!!
1957年の諫早水害の時には高城町(現在の”サテイー”のあたりに住んでいました)で水害を経験し、2度の大水害の経験者として家族の中では「雨女」と呼ばれています。