投稿者 こっち 日時 2003 年 8 月 11 日 22:35:54:
回答先: モンゴルと言えば「朝青龍」? 投稿者 蒙古 日時 2002 年 8 月 10 日 07:23:34:
長い遊牧生活から生まれた、ユニークな文化
暮らし
『ゲル』
木とフエルトで出来た組み立て式移動住居、。内モンゴル自治区では「パオ」と呼ばれる。
円形の骨組みの上に防水性の布をかけ、煙突代わりの天窓が開いている。冬は「ホルゴル」と呼ばれる羊の糞を床下に敷いたり、同じく羊の糞を固めた固形燃料「フル」を燃やして暖をとる。中心にはストーブが置かれ、その奥が主人、入り口右側が女性・子供、左側は男性・客人の席。北奥の最上席には仏壇が置かれる。
『デール』
男女同型の伝統的衣服。襟を左前で合わせ、右肩のボタンを留め、細くて柔らかい帯を締める。色彩や柄はあでやかで独特。靴はゴタルと呼ばれる長靴で防水性に優れている。正装のときはジャンジャン・マルガイという帽子をかぶる。
『羊肉』
モンゴルで肉といえば羊肉のこと。骨を折らず・切らず・関!節に従って解体し大鍋で茄でる。味付けは塩のみで、保存用として干肉を作ることもある。ちなみにモンゴルの主食はこの羊肉である。
『アイラグ(馬乳酒)』
馬の乳を発酵させたアルコール度2〜4%の飲み物。色は白く、味には軽い酸味がある。栄養価が高く、夏場はこれを飲んで食事代わりにする人も多い。
『スーティーツァイ』
乳に少しお茶を足し、塩を入れた飲み物。ゲルに住む人にとって栄養豊かな朝食でもある。
『アルビ』
モンゴルのウォッカ。冬は外気で半分凍らせた状態で飲む。アルコール度数の高い酒。
『五畜』
モンゴルの遊牧民が飼う動物は牛、馬、羊、山羊、ラクダの五種類で、合わせて「五書」という。毛を刈り、乳を絞り、肉を食べ、関節は子供のおもちゃになる。初夏には馬乳を精霊に捧げる儀式が行われ、その後その年の馬乳酒が作られる。ラクダは何に使うの?と思う人もいるかもしれないが、ラクダの乳からもチーズなどの乳製品を作る。
『ザハ』
ウランバートル郊外にある青空市場。食料専門とその他一般の二種類がある。人々は偽物の骨董品から子犬まで、ありとあらゆるものを持ち寄って商売する。値段は交渉次第。物々交換でもよい。正月前の上野アメ横のような混雑ぶりで、危ない雰囲気もある。
民族衣装
モンゴル人の民族衣装を一般的にデールと呼ぷ。しかしモンゴルいとっても広範囲に広がり、その変化は実に様々で、民族衣装について語るにも非常に問題が多い。形の違いはもちろんだが、呼び名一つとっても地域差があるようだ。例えば中国の内モンゴルのある人(チャハル人)はデールというのは冬用の厚手のものを言い、夏用の薄手のものはテルリクと呼び分けると言っていた。一方、モンゴル国のあるモンゴル人(ハルハ人)は夏用のものをダン・デール(一重のデールの意)、春や秋に着用するものをファンティ.デール(縞入りデール)、冬用のものをウフテイ・デール(毛皮付きデール)と教えてくれた。聞いた話だが、内モンゴルのモンゴル語の方が古い、伝統的な語彙に富むという。モンゴル語には方言が多く、そしてそれだけ独自性を持った文化も多く存在するのだ。これはモンゴル全域に言えることである。
ブリヤート ハルハ トルゴート デール
よく受ける質問がデールとチャイナドレスの関係だ。結論から言うと、北方騎馬民族荊満州人の民族衣装こそが今のチャイナドレスの原型である。デールは満州人の衣装の影響を受けており、もともと騎馬民族に広がっていた衣装なのである。デールは実に牧畜生活を乾燥地域で行うに適した特徴を備えている。立ち衿、左前の前開き、長い袖と丈、そして帯を巻くというのが共通した点莚。立ち衿は体からの水分蒸発を防ぎ、同時に毒虫などの進入を阻む。長い袖とノットラガ(袖の折り返し部分)は乗馬の際に防風、防寒に一役買い、長い丈は寝具となる。更に右腕前で留め左ボタンをはずしたり、腕を抜<ことで、温度や通気を調整できる。ボタン以外に金層部分が無く(ボタンもかつては金属ではなかった。)落馬しても体を傷つけない。更に帯を腹部に堅く巻くことで乗馬中の振動による胃下垂を防ぐという効果もあるそうだ。
民族・芸能
『馬頭琴』
「スーホーの白い馬」という昔話で知られる、弦と弓を馬の毛で作った弦楽器。樟の頭に馬の彫刻がほどこされている。その独特な昔色は夏の草原が風でざわめく音にも似ている。
『ホーミー』舌、歯、喉、肋骨などを使って共鳴させ、低音のメロディと同時に高音の伴奏のような音を出す独特な歌い方。日本でもファンが多い。
『ツァム』
チベット伝来の仮面舞踏。供養や布教を目的としたもので、演者のラマ僧は悪鬼の仮面や派手な装身具を身につけて踊る。音楽も賑やかで観応えがある。
『ナーダム』
毎年7月11日、12日に行われるスポーツの祭典。競馬、弓術、モンゴル相撲の三競技を行って神に捧げる。元来は部族の長であるハーンの遠征や即位の時に行われた、教練的なものであったらしい。年に一度の大祭を楽しみに、各地から集まった老若男女が、鮮やかなデールを身にまとって熱狂する。
『モンゴル相撲』
選手はマラカイ(帽子)、ゾドグ(上着)、シューダグ(パンツ)、グタル(ブーツ)といった衣装をつけて戦う。土俵はなく、ルールは膝がついたら負け。500人以上の選手たちがトーナメント制で、何組もが同時に試合を始めて徐々に勝ち残っていく。試合のあと勝者は両手を大きく広げて自分の強さを誇示するかのような“鷹の舞い”を舞う。優勝者は国民的英雄となる。
『競馬』
6歳から12歳までの子供たちが騎手をつとめるレース。幼い時から馬に慣れ親しんでいるこの国ならではの競技。参加する馬の数は約1,500頭にのぼる。10・、15・、20・、30・などの距離と馬の年齢別に競技が行われる。
『弓術』
相撲や競馬と違って経験がものをいう競技で、老若男女が参加。選手たちの服装は正装。的は皮を編んで作る。弓は柳の枝で出来ており、禿鷹の羽を飾りにつける。矢じりはオオシカの角。的までの距離は男性で70m、女性で60mとかなり遠く、モンゴルの人々の視力の良さがうかがわれる。優勝した選手には「メルゲン」の称号が与えられる。
風習
『ツァカンサル(旧正月)』
大切な年中行事。欠かせないのがごちそうで、「ボーズ」という肉饅頭と「ヘヴィン・ボーブ」という揚げ物の菓子、「オーツ」という手一頭をまるごと煮たものが代表。晴れ着を着た年始回りの客を大切にもてなし、審の到来を祝う。
『オボ』
草原を走る道の脇に点在している、小石を積み上げ供物を傭えてある場所。人々は車、馬などでここを通りかかると、3回歩いて回りながら旅の安全を祈る。
宗教
大別して民間宗教とチベット仏教のふたっ。民間宗教とは厳しい自然のなかで暮らす遊牧民が天、地、その他生きとし生けるものすべてを信仰の対象としたアニミズム的なシャーマニズムです。同、時にモンゴルの人は敬けんなチベット仏教徒で、ウランバートルのガンダン寺乃は多くの人々が五体没地を行ったり、マニ車を回すのを目にすることができます。また、ゲルの中にも、最上席に仏壇が置かれています。社会主義体制下で表面的には否定されてきた宗教も、民主化とともに活力を取り戻しました。
子供の遊び
[シャガァ]
ラクダ 羊 馬 山羊
シャガァは日本のメンコ、ピーダマ、おはじきのような存在です。地域によって色々遊ぴ方があります。これからその遊び方を紹介しますが、その前にひとつ。シャガァは羊の足首の骨でできています。ころがして上になる、一個のシャガァの四面にはそれぞれ名称があり、地域差も有ります。このコ一ナーでは便宜上モンゴル国で一般的な呼称つまり馬、らくだ、羊、山羊と呼ぴますから、それぞれの名前を覚えておいてください。
遊び方 使用シャガァ数 任意(両手に持てるだけ)人数 何人でもよい
まず全てシャガァを手に持ち地面にばらまきます。そして任意のシャガァをはじいて、同じ動物のシャガァにぶつけます。つまり馬は馬に、羊は羊にです。当たったらシャガァをはじいた手と逆の手でどちらかのシャガァを拾います。右手ではじいたら左手で拾う、といった具合です。
シャガァをぶつけるとき、的にしたシャガァ以外に当ててはいけません。またぶつけた後シャガァを拾うときに目的のシャガァ以外に触れてはいけません。あまり一般的ではないようですが、どうしても的に当てられそうにないときには、指に息を吹きかけ(舐めては駄目)指を湿らせてからシャガァに押し当てて指にくっつつけ、空中移動させることも出来る場合があるようです。ただし、的に向かう途中で落ちてはいけません。
以上の罰則に触れるか、ぶつけるシャガァがなくなったら次の人に交代します。
そして再びシャガァを集め、ばらまくことから始めます。これを繰り返します。
残りのシャガァが4つになり、これらを再び集めて地面にばらまいたとき、シャガァが4つとも同じ動物か、逆に違う動物が出た場合、早い者勝ちで誰でも全てのシャガァを取れます。また残りのシャガァが3つのときも同じ動物が出た場合も同様です。
すべてのシャガァを取り終わったら皆でシャガァを2つずつ出し含い、最初から繰り返します。そして最後まで残った者の勝ちとなります。
ここではおはじきに似た遊び方を紹介しました。
『スーホーの白い馬』にまつわるお話し
小学校2年生の国語の教科書で取り上げられている「スーホーの白い馬」。原作はモンゴルの昔話です。
ある夜、スーホーという少年が寝ていると、ゲルの外から怪我をした馬の苦しそうな声が聞こえてきました。少年は手当をしてやり、数日後、馬は元気になります。そしてそれ以来、少年と白い馬はとても仲良く暮らすのですが、ある日ハ一ンが現われて「競馬をやろう。そして勝った者を自分の娘のむこにしてやろう」というのです。スーホーはこのレースに参加し、見事に優勝します。ところが、ハ一ンはこの貧しい少年と自分の娘を結婚させるのはいやだと思い、少年から馬を取り上げたうえ、追っぱらってしまいました。少年は毎日毎日馬のことを思い、案じます。
そんなある晩、ゲルの外で馬の声が聞こえました。少年が飛び出ると、ハ一ンの家来に追われて傷だらけになった白い馬がいたのです。「わたしは死んでしまいますが、ずっとあなたのそばにいられるように、わたしの骨や毛を便って楽器を作ってください。」そう言い残して馬は死にます。少年は馬の遺言通りに楽器を作り、その楽器が今の馬頭琴だというお話です。
ベトナム戦争時、モンゴルはベトナムに馬を数百頭送りました。そのなかの一頭がベトナムで行方不明になりましたが、数年後、持ち主のところに疲れ切って帰って来て、そのまま力尽きたというニュースがありました。
モンゴルの人々と馬との関係は、単なる家畜とその飼い主ではなく、共に生きる仲間であるということがわかっていただけるでしょう。